第1541回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1540話 次の騒動の抑止の事。 2016年6月12日日曜日の投稿です。






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  戦後、 西ドイツを中心として多くの歴史研究家が、1924年3月に行われた

 ミュンヘンの裁判を、大いに批判しているわけです。

 つまり、「 この時、ヒットラー達、国家社会主義ドイツ労働者党の面々を、レーニン

 や、スターリン毛沢東達の行ったように、処刑して皆殺しにしていれば、後の

 第2次世界大戦などは発生しなかったであろう。」と、 申し立てる人が多かった

 のです。  


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  しかし、 戦後多くの書物が書かれ、いろんな人がいろんな考えや推測を

  唱えていますが、 一部では武器が使われたようですが、 ヒットラー自体は

  脅迫をおこなったものの、人を負傷させたり、殺害は行っていなかったのです。

  そして、デモ行進なども、武器を持たず、平和的なデモ行進であったのです。

  それらの事は、法廷で証言を聞いたり、 申し立てを繰り返すことで、当初の

  バイエルン州政府が発表していたこととは随分違うことがわかっていき、新聞に

  よって、ドイツ全土に真実が伝えられていったのです。



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    そして、当時の新聞でドイツ全土に、ヒットラーの事が紹介され、ヒットラー

  同情したり、 支持をする人が急速に拡大していき、 ミュンヘンの周辺だけでも

  20000人から30000人程度、支持者がいると考えられていたのです。

  もし、これらの人が、裁判の判決に不満を持ち、フランス革命のように当初から

  武器を持って武装蜂起して行く可能性も当時は大いにあったのです。


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以前紹介したのですが、バイエルン王国では、ユダヤ人の社会主義者が反乱

を起こし、皇帝がハンガリーに亡命し、王国が崩壊した後、ユダヤ人がバイエルン

を掌握して首相に就任し、 それに不満を持つ バイエルン王国の貴族の青年が

このユダヤ人を暗殺し、 その後、今度はポーランド人の共産革命家がロシアの

レーニンの支援の元、バイエルンで共産革命を起こして、レーテ共和国なる、

共産主義国家を樹立し、 それの拡大を恐れた、ベルリンの中央政府

軍事介入して、 ミュンヘンでは戦争が行われ、 共産主義政府は打倒された

のですが、市民に多くの犠牲者が出たのです。


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   このような経緯から、 今後、ミュンヘンの裁判が原因でまた騒動が発生する

 ようなことは、極力避けて、 ベルリンの中央政府も納得し、 裁判官達の法曹界

 納得し、 ヒットラーの支持者達も納得する、そういう判決が必要であったのです。



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             【 フランッ ギルトナー バイエルン州法務大臣


  戦後、西ドイツの歴史研究家の多くが、当時のバイエルン州政府のフランッ

  ギルトナー法務大臣は、「バイエルン州の元陸軍大尉で、右翼的考えを持っていて

  ヒットラー達に同情的で、後の災いの原点を作っていった。」 と、批判する人が

  多いのですが、 確かに、彼は元バイエルン州の陸軍の大尉で、中東に出陣中

  にドイツが敗戦し、 復員していたわけですが、 彼が1番に考えていたのが

  無用な混乱を避け、市民が平穏無事で暮らせる社会を保つことであったのです。 

  理由はどうあれ、 武力革命が起きて、罪の無い市民がまきぞえで多くの市民が

  死傷するという事件を抑止する必要があったのです。


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   ヒットラー達に、 なるべく発言する時間をあたえ、国の秩序を乱す行為を

   やめさせ、考えを改めるようにすることが 大切であると考えていたようです。

   そのような訳で、 熟慮の上に、熟慮を重ね、ヒットラー達に判決が言い渡さ

   れる事になっていったのです。


   【 明日に続く。】