第1544回 昭和の伝道師【 戦中戦後のパイロットの物語 】

第1543話 ヒットラーの牢屋の事。2016年6月15日水曜日の投稿です。





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 バイエルン州の フランツ ギュルトナー法相は当時、 このバイエルンが戦場

 になったり、 争乱になったりして、関係のない市民の家が放火されたり、死者が

 出るような事件を起こさないように、治安の安定に 細心の注意を払う必要が

 あると考えていたようです。


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   ナチ党の幹部を牢獄に幽閉し、 一般社会と隔離し、 ナチ党の活動禁止を

  行った場合、その先どうなるか、活動家は地下に潜伏し、最悪の場合、フランス

  革命のように、牢獄を襲撃し、 また一揆が起きる可能性も当時捨てきれな

  かったのです。

  何しろ、新聞を読んで当時 ヒットラーの申し立てに 賛同する人が多かったの

  です。




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  ヒットラーには、 先の戦争で、多くの人の死と遭遇し、 人の血や死が、なんとも

 なくなっていった、 つまり、多くの人の死を見過ぎたために、 力によってなにかを

 進めようとしていくヒットラーに、「 武力を用いた革命は短期間で事が成就するが

 絶えず武力で周囲を警戒し、 安定した政治を行うのは難しい。

 自らが殺されるのではないかと不安と同居である。

 ところが、 民主的な選挙で選ばれて政治活動をして政界で議席を得ると、国家に

 よって身分が保障され、武力によらなくても、安心して政治が行える。」と説いた

 のです。

 「確かに、民主的な選挙では、政権を得るには時間がかかるが、 反面、国家に

 よって身分が保障されるので、 そう言う方面の研究をして、 今後の政治活動

 に生かす様に。」と、 こんな言付けをして、 普通の囚人の監房とは違う広い

 明るい部屋を ヒットラー専用にしつらえ、 規則はあったのですが、誰と面会して

 もよいというそういう、緩やかな刑務所暮らしをしつらえたのです。





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               【 ヒットラーが収監されていた刑務所 】




 どういうことかというと、平日の決められた時間なら、看守の立ち会いが決められて

 いたのですが、誰とでも面会が可能で、 強制労働などさせられず、本を読んだり

 昼寝をしたりと、 自由な 刑務所暮らしがヒットラー達に許されたのです。

 これらの理由は、ナチ党の党員達に、自由に面会を許して、 不満のガス抜きを

 行うとともに、 面会を希望する党員を尾行して、その組織の全貌を監視して、

次の一揆を起こさせないように監視する意味合いもあったようです。

 また、党員達も、用事があると、総統にすぐあえるので、刑務所を襲撃する

 意味合いも無くなっていったのです。



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   ところで、ヒットラー達、ナチスの党員は、他の囚人とは違い特別待遇で

  本を読んだり、 好きに過ごす事が許されたのです。

  時には、近所の喫茶店に行く事も、許可が必要でしたが 認められていたよう

  です。

   ヒットラーは、いろんな人から本などを差し入れされて、読書三昧の日々を

   過ごしていたようですが、 だんだん飽きてきて、 次の出所後の計画を

   考えるようになって行ったようです。

   ここの刑務所の明るい広い部屋で、次の世界大戦の原因となる出来事が

   起きていくのでした。



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  それは、後の ヘス副総統のお話によると、 ルドルフ ヘス 元陸軍少尉が

  ヒットラーに語って聞かせた話が原因であったそうです。


  【 明日に続く。】