第1585回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1584話 八雲部隊到着申告の事。2016年7月27日水曜日の投稿です。




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  1924年 関東大震災の翌年の大正13年7月24日の木曜日の午後、私達

海軍兵学校の第52期卒の八雲 乗組み部隊は、 装甲巡洋艦 八雲の甲板に

整列したのです。

私達の前には、 初めて見る上官達が 横一列でならんで、そのみんなが、日焼

けした顔で、厳しい目で私達、新入りを見つめていたのです。

  番号点呼の後、 部隊指揮官の赤塚 栄一 【 後の 白濱 栄一 海軍大佐】

少尉候補生が、「 海軍兵学校 第52期卒、 少尉候補生 赤塚 栄一 以下

64名着任いたしました。」 と、 申告すると、 艦長らしき佐官が、「 良し、 ご苦

労。」と大声で叫び、 続いて、 海軍機関学校の卒業者の 福谷 英二 機関少尉

候補生が、 「 海軍機関学校 第33期卒 機関少尉候補生 福谷 英二 以下、

37名八雲に着任いたしました。」と、 敬礼すると、 艦長らしき佐官が、 福谷 

機関少尉候補生の方を向いて、ギロリと、にらみつけた後、 「 うむ、ご苦労。」と、

声をかけ、その又向こうの、安住 栄七 主計少尉候補生が、「 海軍経理学校 

第12期卒 安住 栄一 主計候補生 以下3名、 八雲に着任いたしました。」と、

大声で 叫んで敬礼すると、 艦長らしき佐官が、「 うむ、ご苦労。」と叫んだの

です。

艦長らしき 佐官の 左となりの 佐官が、「 きょうつけぃ、 かしらーーむけ。」

と、 号令をかけると、 104名の全員が緊張して、 前を見つめたのです。


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  艦長らしい佐官は、 敬礼したまま、 右から左まで見渡し、 私達を見つめると

「 八雲の 副長の 海軍中佐 羽仁 潔  である。 これより、全員に1人づつ

 自己申告をしてもらう。」 と、大声で叫ぶと、 私は、海軍兵学校に入学した時、

 何度も、何度も、自己申告をやり直しさせられ、 ひどい目にあっていたので、

 心の中で、「 やれやれ、またかいな、 かんべん してーな。」と、思ったのです。

 これが、 八雲の当時の副長 【 副艦長の事】 羽仁 潔 海軍中佐との出会い

 であったのです。

 この人は、山口県の出身の 海軍兵学校 第33期の卒業生で、 後の山口県

 徳山市長となる人でありました。


 【 明日に続く。】