第1586回 昭和の伝道師【 戦中戦後のパイロットの物語 】
第1585話 巡洋艦 八雲の幹部達の事。2016年7月28日木曜日の投稿です。
【 1924年 大正13年当時の 装甲巡洋艦 八雲 やぐも 】
ところで、又々兵学校のように、 延々と自己申告させられるのかと心配して
いると、 八雲の佐官の 先任順から自己紹介が始まったのです。
私達が大正13年度に乗り組んだ当時、 八雲には 12分隊あって、
人に名乗らす前に、自らという事でしょうか、 艦長の 鹿江 三郎 海軍大佐
そして、 次の人が副長の 昨日紹介した 羽仁 潔 海軍中佐でありました。
今日の昔話は、 その次の人からの紹介です。
航海長 兼 第1分隊長 小池 四郎 海軍少佐
砲術長 山田 満 海軍少佐
運用長 兼 第2分隊長 能美 留壽 海軍少佐
副砲長 兼 第3分隊長 根元 正清 海軍少佐
第4分隊長 杉本 宇市 海軍少佐
第5分隊長 長谷 真三郎 海軍大尉
第6分隊長 佐藤 州雄 海軍大尉
第7分隊長 鬼塚 武二 海軍大尉
機関長 山崎 雅雄 海軍機関少佐
第8分隊長 小野 絆 海軍機関少佐
第9分隊長 山口 真澄 海軍機関大尉
第10分隊長 後藤 正雄 海軍機関大尉
軍医長 兼 第11分隊長 豊田 實 軍医少佐
主計長 兼 第12分隊長 渡邊 貫寂 主計中佐
と、こんな感じの順で紹介があったのです。
大正13年当時は、 艦を操舵する部門は、 第1分隊と呼ばれていたのです。
24時間 動かしていたのです。
第11分隊は、 艦内病院を担当していて、 軍医殿がいたわけです。
第12分隊は、 主計課 といって、 会社で言えば、 総務課 みたいな役割で
あったのです。
当時は、 艦長、 そして、副長があって、 その下に 12個の分隊という
と呼んだのです。
【 明日に続く。】