第1591回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1590回 高松宮殿下の乗艦の事。2016年8月2日火曜日の投稿です。






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  大正13年7月24日木曜日の午後 源田 實【 後の参議院議員航空幕僚長

達の少尉候補生を乗せた、 当時の練習艦隊の3番艦 出雲 は、江田内を出港

したのです。

 そして、私達の乗艦していた、 2番艦の 八雲 【 やぐも 】も、アンカー【 いか

りの事】をあげて、動き出そうとしていた頃、 1番艦の旗艦 浅間【 あさま】では、

高松宮殿下とその一行が乗艦されていたのです。



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    【 当時の大正13年度の練習艦隊 旗艦  装甲巡洋艦 浅間 【 あさま】】



  高松宮殿下とその一行を乗せた、はつかせ と言う 専用艇が浅間に横付け

されると、「 プーーーフーーーフフップー、プープーフフップフッーー、プップッフ

フップップップップッププーーーーー。」 とラッパが鳴り、 楽隊が演奏する中、

高松宮殿下一行が、 浅間に乗艦されていったのです。



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  当時、 佐世保鎮守府司令長官であった、 伏見宮殿下も来賓として江田島

 お見えになられて、皇族の高松宮殿下の少尉候補生任官を祝福されたのです。



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         【 大正13年の撮影の 高松宮宣仁 殿下 昭和天皇の弟 】


  当時、運良く浅間に乗り組むことになった、同期の井上 武男少尉候補生の

お話によると、 高松宮殿下は、当時 かっけ と言う病気を患っていて、足の



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すねが、腫れるという症状があって、 殿下の他に、 宮内省の伝育官、侍従、

侍従武官の海軍中佐2名と、 お気に入りの 西村二等軍医が乗艦したらしい

のです。



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    それから、 いろんなお偉い将官や佐官が乗り組んで、 みんな 儀礼儀礼

   で大変であったそうです。



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   私達の 八雲や、 源田達の出雲に比べると、 井上 武男 少尉候補生

 が乗り組んだ、 浅間 という装甲巡洋艦は、 皇族や、 海軍兵学校の当時の

 校長の 谷口 海軍中将などが乗艦して、 音楽隊が音楽を演奏する中、

 いろんな 行事が行われ 最後に出港することになって行ったのです。



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                【 練習艦隊 2番艦  八雲 やぐも 】


   浅間で、 皇室の乗艦の儀礼行事が行われていた頃、 私の乗艦していた

  装甲巡洋艦 八雲 は、 「ぶぉーーーーーーーーっ。」と、汽笛を鳴らし、

  信号手が、「 プププププツーー、ププププッーー、ププププップップップーー。」

  と出港の合図のラッパ信号を鳴らして、 するすると 江田内の海面を

  動き出したのです。


  【 明日に続く。】