第1596回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1595話 艦隊構成スの事。 2016年8月7日日曜日の投稿です。
沖合に位置する甲島 と、手島の間の海域で待ち合わせをし、 旗艦 浅間の
到着を待ったのです。
しばらくすると 浅間が到着して そのまま 「 タテジュウジン ワレニ ツヅケ。」
と信号を発し、 その後に数珠つなぎのように 一定の距離を保って、 八雲
出雲 と続いて伊予灘に向けて航行を開始したのです。
【 当時の練習艦隊 司令長官 古川 鈊三郎 海軍中将 】
当時の日本海軍の伝統は、 艦隊の先頭を旗艦が航行し、 前から順番に
司令部の命令を信号で受信し、 後の艦に次々 伝えていくという こういう
体制が取られていたのです。
これらの方法は、 第2次ソロモン海戦で、米軍の夜間のレーダー射撃で
大敗するまで続けられていたのです。
ところで私達は、朝から卒業式に練習艦隊の出港と、立ちっぱなしで足の裏
が痛くなっていたのですが、 甲島の沖合で 3隻が会合し、 豊後水道を南下
していったのです。
そして 私達 少尉候補生は、自分達の部屋というか、寝起きする場所に案内
され、「 やれやれやがな。」と、喜んでついていったのですが、「 なんや。」と
言いそうになって、 必死に 胸の中にしまい込んだのです。
まあーー当時、 えらい場所に配置されたと、 後悔したのです。
【 明日に続く。】