第1602回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1601話 鹿児島の沖小島の事。2016年8月14日日曜日の投稿です。
古川 鈊三郎 海軍中将が指揮する 日本海軍の浅間、八雲、 出雲の3隻
「 機関停止、 アンカー打て、 半舷上陸用意。」 と、今田海軍大佐から
命令が発令されると、先頭を航行していた 旗艦の浅間は、当時 桜島の
南西に 沖小島という 島があって そこの南海域で停泊したのです。
そして、私達が乗り組む八雲や、源田達の乗り組む出雲も到着して 投錨した
のです。
昭和になって、後日、 源田がたばこを吹かしていたので、「 おーうっ、どないや。」
と、私が水を向けて聞いてみると、負けず嫌いの彼は、 自分が乗り組む 出雲が
艦隊の末尾に位置して、最後に航行していたのが、 当時、我慢できないくらい
面白くなかったそうで、 私達の八雲は、真ん中であったのですが、 高松宮殿下
の座乗する浅間に乗り組めなかったことが、ずいぶん悔しかったそうです。
【 大正13年当時 出雲に乗艦していた 源田 實 元海軍大佐 広島県出身】
したのですが、半舷上陸が発令されたのです。
半舷上陸【 はんげん じょうりく】と言うのは、どのような事かというと、 艦を
全体として600人の乗組員がいたとすると、 半分が 艦を維持するため、
艦に残り、 そして 残りの半分が 艦から外出できるのです。
私達は、前の日まで江田島にいたので そうでもなかったのですが、他の
水兵や下士官の人達は、 随分嬉しそうに陸【 おか】に上がるのを楽しみに
していたようで、 みんなどこに遊びに行くのか、楽しそうにしていたのを記憶して
います。
【 明日に続く。】