第1603回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1602話 艦上の番号点呼の事。 2016年8月15日月曜日の投稿です。





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                【 大正13年当時の 装甲巡洋艦 八雲 やぐも 】


  前話で紹介したように、 私達が配属になった 日本海練習艦隊は、、瀬戸

内海から、豊後水道を南下して、鹿児島湾に入り 投錨したのですが、 半舷上陸

することになり、みんな大喜びしていたのです。

そのような中、私達少尉候補生にも甲板に集合するように、命令が発令されたの

です。


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 当時、扇風機なる物が、新発売されていたのですが、まだまだ ごく一部で、

艦には登載されておらず、 当然、戦後のエアコンのような物もないので、

鉄の艦内は、 夜明けから時間が立つほどに、蒸し暑くなっていったのです。

私は、「 なんや、 そとのほうが、潮風があって、涼しいがな。」と、こんな事を

話していたと記憶しています。

先任指揮官の 赤塚 栄一 【 後の白濱 栄一 海軍大佐の事】少尉候補生が

「 候補生は整列せよ。」 と、叫んだ後、 私達は どかどかと、小走りに甲板に

整列したのです。

赤塚 少尉候補生が、「 番号点呼。」 と叫ぶと、私達は、先任順に、「1、2、3、

4ーーーーーー。」と叫んでいき、 私は、「21。」 と 大きく叫んだのです。

番号が64番まで行くと、 赤塚先任指揮官が、「 奇数番号の少尉候補生は、

反対側へ4歩前、回れ後。」と叫ぶと、私は 奇数番号の為、 前に出て、偶数

番号の生徒と会い対したのです。

そこへ、 海軍大尉殿がやってきて、 「 敬礼。」 と号令がかかり、私達は、

敬礼すると、 その海軍大尉は、ぎろり と私達を見ながら敬礼し、 右から左を

敬礼したまま見つめると、「 なおれ。」 と 号令を出したのです。

この人が、 当時 末席の分隊長 鬼塚 武二 海軍大尉との出会いであった

のです。

この鬼塚 武二 海軍大尉は、 海軍兵学校 第47期卒、つまり、私達より、

5年先輩で、 当地、鹿児島の鹿児島第二中学卒の、 つまり 薩摩人であり

ました。

後に、海軍大佐になって、航空隊の司令をすることになるのですが、また

順番に紹介して行きたいと思います。



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  【 大正13年当時の 八雲 少尉候補生部隊 集合写真 上段左が筆者 】


  鬼塚分隊長は、 「 これより、半舷上陸を行い、 桜島を偵察に行く事に

  なった。 ついては、 奇数番号の32名は、赤塚先任指揮官を中心として、

これより、桜島に転進する。 

残りの、偶数番号の32名は、次席指揮官の 内藤 雄 少尉候補生を指揮官

として、午後まで艦内で別行動とする。
 
以上 終わり。」 と 命令が発令されたのです。

「 全員、敬礼。」 と 号令がかかると、 私達は敬礼して、 いよいよ、桜島

見物に向かって、転進することになったのです。


【 明日に続く。】