第1618回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1617話 第四十三潜水艦発令所全滅スッの事。
2016年9月1日木曜日の投稿です。
【 日本海軍 潜水艦の潜望鏡】
潜水艦と、 軽巡洋艦 龍田が衝突し、 龍田の喫水線の下、つまり、水面の
下の艦首が、第四十三潜水艦の司令塔に水中で衝突し、めり込み、第四十三
潜水艦は、横から追突されて、大きく横倒しとなり、そのまま沈んでしまったの
ですが、
【 第四十三潜水艦の横断面図 】
司令塔下の発令所を直撃し、 電源を喪失し、どっと、海水が流れ込んで
一瞬で、 幹部が亡くなっていったようです。
【 艦長 心得 桑島 新 海軍大尉の遺品の時計】
第四十三潜水艦の指揮官、 桑島 大尉の時計の時刻は、午前8時54分
で止まっていて、 おそらく、50分前後に衝突があったと推測されます。
【 日本海軍の潜水艦の発令所 】
日本海軍の発令所とは、どんな所かというと、艦艇で言えば、艦橋のような
場所で、ここが、艦の頭脳で、 ここから命令が発令されていく、そういう場所
であったのです。
事故当日、おそらく、潜望鏡深度まで浮上し、潜望鏡をあげて、数秒で
右側面から、龍田の艦首が食い込んできたと想像され、艦内は電源が落ちて
暗闇となり、 発令所はどっと海水が入ってきて、みんな溺れ死んだようです。
つまり、 指揮を取っていた 桑島大尉も、何があったのか考える時間もなく
死んでいったと思われます。
【 艦長心得 桑島 新 海軍大尉 殉職後、少佐に進級 】
【先任士官 中比良 義太郎 海軍大尉 】
艦長 心得の 桑島 新 大尉の下に、 先任士官として、 中比良 義太郎
海軍大尉がいて、 艦内を取り仕切っていたようです。
当時、副長格の先任士官であったのです。
大津ッ子でした。大正2年12月に海軍兵学校 第41期を卒業した海軍士官で、
【 第43潜水艦の中から出て来た、中比良 義太郎 海軍大尉の遺品 】
同期には、 連合艦隊参謀長を務めた、草鹿 龍之介海軍中将、大森仙太郎
海軍中将や、キスカ作戦などで有名な 木村 昌福 海軍中将などと同じクラス
でありました。
118人中、98番の席順の卒業で、その後、艦隊勤務を経て、大正7年12月
より6年間潜水艦で勤務し、当時、33才でした。
続きは、次回紹介します。
【 明日に続く。】