第1625回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1624話 第四十三潜水艦 機関長 市村 次一 海軍機関中尉の事。


                           2016年9月8日 木曜日の投稿です。




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                  【 大正13年頃の 第四十三潜水艦 】


  軽巡 龍田と衝突して、 立っていられない程度、斜めに押し倒され、そのまま

 海底に沈み、 至る所から浸水し、 機械室を放棄して、 後部に避難した、

 小川 昊 機関大尉以下の機関部員は、さらなる浸水に対処し、いろんな

 事を暗闇の中で行ったようです。


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   これらの作業は、電動機室という場所で、暗闇の中で行われたそうですが、

 今日は、 この第四十三潜水艦の機関長が誰であったのかというお話です。

 先に紹介した 小川 昊 海軍機関大尉は、別の潜水艦の機関長で、たまたま

 当日乗り合わせたと言うだけで、 当時の機関長は、市村 次一 海軍機関中尉

 であったのです。


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       【 第四十三潜水艦 機関長 市村 次一 機関中尉 福井県出身】



   市村機関中尉は、福井県足羽郡の出身で、大正九年七月に海軍機関学校を

第29期を卒業し、64人中37番の卒業でした。

記録を調査すると、福井県足羽郡社村南居55の3 と言う住所で、遺骨の引受人は

兄の市村 傳 さんとなっています。

事故当時、26才でした。

御遺体の左のポケットに 複数の紙が入っていて、 内容は次の様な事が書いて

ありました。


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         【 市村 次一 海軍機関中尉の遺書  撮影 大正13年 】


   忠実なる部下は最後までよく働きました。

   一同国の為に死するは本望なり、部下の遺族に対し、何分哀れみを垂れ給へ、

   沈没より今過ぎの状況は、穴見兵曹長をして細かくかきしめたり。



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  今、午後四時四十五分 司令と電話中、呼吸が困難になり、 艦長心得は

  【 桑島 新 海軍大尉の事】いかにされたるや心配なり。

  死に直面して感心せるは各員の平然たる態度なり、又 自分も平気なり、

  暗闇の為、字がよく書けぬ。



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         天皇陛下万歳

         午後七時、今が最後なりさらば



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         今、午後七時二十五分、 まだ死せる者なし、

         但し、皆苦し、



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          遺書を読まれんことを望む。




    以上が、左の胸ポケットに入っていた遺書の文です。




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       それでは、海底に斜めに押し倒されて沈没した暗闇の艦内で、

       小川 昊 機関大尉と、 機関長の 市村 次一 機関中尉が

       どのような指示を出して、どのような対策を行って行ったのか、

       次回勉強して行きたいと思います。


       【 明日に続く。】