第1636回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1635話 第43潜水艦 柳原 源蔵 海軍二等機関兵曹の事。

                            2016年9月19日月曜日の投稿です。



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   【 大正13年に佐世保市 相浦沖で衝突沈没した 第43潜水艦 】


  今日の昔話は、 沈没した第43潜水艦 第3分隊 機関科の 柳原 源蔵

  海軍二等機関兵曹のお話です。


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        【 第43潜水艦 柳原 源蔵 海軍二等機関兵曹  福岡県出身 】



   柳原 源蔵 海軍二等機関兵曹は、資料によると 福岡県朝倉郡大福村の

   出身とあります。

   現在の福岡県の山間部と大分県の山間部の県境から福岡より、つまり太宰府

   の東側に朝倉市と言う地名があって、 その昔、その中に大福村という場所が 
   
   あったようです。


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        【 大正13年撮影 柳原 源蔵 海軍二等機関兵曹の遺書 】


 柳原 源蔵さんの遺書は 発見されたのですが、どういうわけか途中で途切れて

 います。

 書く途中で絶命したのか、 または、何かがあったのかは、よくわかりません。



   解読してみると おおよそ 次の内容となります。



                   柳原二等機関兵曹 遺書


  十九日午前九時激動あり動揺甚だしく司令塔より機械室に浸水し来るを

 以て之が防水に努め機械室に居る内


 
  と、ここで途切れています。



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             【 大正13年作成  第43潜水艦 断面図 】

 
  この遺書が語る所は、 9時頃 軽巡洋艦 龍田が潜望鏡深度 5メートルの

第43潜水艦の司令塔の横から衝突し、 司令塔の下の発令所だけでなく、後の

機械室の天井部分を破損させ、どっと 海水が入ってきたことを語っているようです。

この後、 機関長の命令で、後部の電動機室に退避したようです。

遺書を書いている途中で、もしかするとお亡くなりになったのかも知れません。



  【 明日に続く。】