第1666回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1665話 第43潜水艦 ヘルショー室退避の事。

                         2016年10月21日金曜日の投稿です。




今日の昔話は、大正13年 1924年3月19日の朝、 長崎県佐世保市相浦

の沖合で、軽巡洋艦 龍田に衝突され、沈没した第43潜水艦の乗組員の救助

活動のお話しです。


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                   【 大正13年撮影  第43潜水艦 】



   前話の続きからーー。

  18時45分  事故発生から 10時間経過ーー。


 原田司令  「 こちら、司令、 電動機室の後部に、気蓄器室ともヘルショー室

          とも言う部屋があるが、 電動機室が浸水甚だしければ、そちらに

          退避してはどうか、 状況知らせ。」  と、問うと、


 穴見 兵曹長 「 電動機室とヘルショー室とのビルジッが1寸程度あります。」

           「 先任に、相談します。」


 そうすると、水の中を じゃぶじゃぶ歩いてくるような音がして、電話の相手が

 変わったようであった。


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         【 演習統括部員 小川 昊 海軍機関大尉  大阪府出身 】


 小川 機関大尉 「 小川機関大尉より司令へ、兵員は静かによく命を奉じて

            努力しています。

            静かに泰然として各自配置についていますから、司令から

            御上によくわかる様にくれぐれも御願いします。

            今、足が海水に浸かっていて、暗い中で動いていて、少しでも

            速く救助の処置をとってください。

            空気が悪くなって、呼吸が苦しくなりました。

            電動機室は、温かくもあり、 電話がありますので、ここに

            いるつもりです。 」

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                 【 大正13年撮影 救難浮標 電話機 】


   ここでいったん区切ると、 事故発生から10時間程度経って、現地の

海上は暗くなり、 第22潜水隊の 原田司令が、ヘルショー室退避の話を

穴見機関兵曹長に対して行うと、 18人の中で、1番階級の先任の将校で

当日、乗り合わせていた、小川 昊 機関大尉が、 電動機室には電話が

あるので、その場所にとどまると、 こういう話をしたとあります。

 各、兵員は 己の持ち場を離れず、粛々と防水作業に暗闇の中取り組んで

いたようです。

 続きの会話は、また明日紹介する予定です。

【 明日に続く。】