第1670回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1669話 「第43潜水艦を引き揚げよ。」の事。
                          2016年10月25日火曜日の投稿です。




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   今日の昔話は、大正13年 1924年の3月19日に、長崎県佐世保市相浦

の沖合で、軽巡洋艦 龍田に衝突されて沈没した 第43潜水艦を引き揚げるお話

しです。

 
前話の続きから。


  新しく編成された、 佐世保海軍工廠を中心とする 日本海軍の第43潜水艦

引き揚げ部隊の指揮官 巨勢 泰八 【 こせ たいはち 】海軍大佐 【 海兵 

第30期卒 】達が立案した 第43潜水艦引き揚げ計画とはどのような作戦計画

であったのか研究して見ると、浮力を利用して少しずつ、まず海底の第43潜水艦

を水深の浅い場所に移動させていくことであったのです。



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                 【 大正13年撮影  第43潜水艦 】


   つまり、 どういうことかというと、 大型のクレーン船2隻を持ってしても、

  まったく吊り上げることが不可能なため、給油艦という巨大な浮きを作って、 

  第43潜水艦を1メートルでもよいので浮かせては移動し、浮かせては移動し、

  を繰り返して、少しでも浅瀬に、浅瀬に移動させ、 水中での作業を行いやすく

  すれば、光明が見えて来るであろうとこういう計画であったのです。



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大正13年4月12日 やっと、 鹿野 弘 海軍中佐の 給油艦 知床 【しれとこ】

佐世保軍港に入港し、 つまり 事故発生から23日後の事ですが、 この給油艦

 知床にウインチなどを取り付ける工作を行った後、 現場海域で引き揚げ作業が

始まったのです。



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  この基準排水量 14050トンの給油艦に、バラスト水を積み込んで、さらに

 荷物を積み込んで、 艦を重たくして喫水線を下に沈めて、第43潜水艦の真上

 に転進して、 海底の第43潜水艦に鋼鉄製のワイヤーや、鎖を複数巻いて、

 それを 給油艦 知床の甲板のウインチで巻き上げて、 ワイヤーを緊張する

 わけです。



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           【 大正13年 撮影  巻き上げ ウインチの古写真 】


    吊り上げワイヤーを緊張させた後、今度はどうするかというと、給油艦

 知床の 給油タンクから バラスト水を排水して 艦を軽くすると、 艦が

 浮くわけです。

 そうすると、ワイヤーが切れない限り 海底の第43潜水艦も、給油艦 知床が

 浮いた2メートルから3メートル 浮き上がるわけです。

 そのまま、 移動して、 作業しやすい浅い場所に移動して、 そこで一端、

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        ウインチや 鎖を緩めて、 海底に鎮座させ、 再度同じ事を繰り返して

        少しずつ、少しずつ、 浅い場所に移動させていったのです。

        これらの作業は、16日間の日数を要し、 そして 第43潜水艦は

        海面に姿を現していったのです。



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    時に、 大正13年 4月18日  事故発生から 約1ヶ月後の出来事でした。


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                  【 大正13年撮影  当時の作業状況 】


    このような、大変困難な給油艦を浮き代わりに使用しての、第43潜水艦

   の引き揚げ作業は完遂されたわけですが、 内部の遺体をすぐに収容

   するわけには行かなかったのです。

   と言うのは、 第43潜水艦の艦内には、海水と、重油、 有毒ガスが充満

   していて、安易に入ると、 二次災害の恐れがあったのです。


   【 明日に続く。】