第1700回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1699話 清国海軍の魚雷攻撃の事。 2016年11月24日木曜日の投稿です。


前話の続きからーー。

1894年 明治27年9月17日 15時頃 清国海軍の軍艦 福龍は、反転180

度回頭して突進してきた 日本海軍の徴用 客船 西京丸に対して、 当時の

新兵器 魚雷を使用して、 攻撃を敢行してきたのです。



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  西京丸は 速力12ノットしか出ない、自転車のような速度の客船で、逃げるの

は不可能と判断し、 なんと大胆不敵にも 清国艦隊の懐に飛び込むように反転

して突っ込み敵中の中央突破をかけたのです。



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          【 明治27年撮影 押収された 清国海軍の魚雷 】


   みなさん、以前、海軍兵学校水雷の授業のお話しで紹介したのですが、

  魚雷という物は、 イギリスから遠く離れた、アドリア海オーストリー帝国の

  工場で イギリス人技師によって 開発されたのです。

  日本の江戸時代の 慶応頃のお話しです。

  それから30年ほどが過ぎ、 当時の秘密兵器という扱いで、清国は50本

  ほど 魚雷を 法外な金額で買い付け、外国から輸入して持っていたそうです。

  その魚雷を 西京丸に対して 発射したわけです。



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   距離 500メートル程度で、福龍から発射された魚雷は 2本だった

 そうですが、 それを 西京丸で、双眼鏡で見ていた、樺山 海軍軍令部長

 「 艦長、 艦長、 面舵でごあす。」 と大声で叫んで、 西京丸の舵は破損して

  いて 人力で舵を動かして、手動回避運動を行ったようです。


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      【 清国艦隊に 蜂の巣の様に 砲撃を受け大破した 西京丸 】



    幸いにも、2本とも魚雷は外れ、 それを見た 福龍は、今度は絶対

  命中させようと 肉薄攻撃をかけてきたのです。

  その距離、 50メートルから 40メートルと言いますから、すぐ真横に

  福龍が接近してきたのです。



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    そして、 一斉射撃を加えてくるので、絶体絶命のピンチであったのです。

    ここで、樺山海軍軍令部長のとった行動とは、 艦の舵を切って、福龍に

    横から接近し、衝突する程度距離を縮めていったのです。


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    どういうことかというと、 魚雷という物は 発射すると一端、水面より

  随分沈んで、 そして 浮き上がって 目標に進んで行くのです。

  それ故、 相手の艦にくっつく程度距離を縮めると、 魚雷は船底の下を

  あたらずに通過してしまうのです。

  清国艦隊の福龍は、一撃必殺で接近してきたのですが、 今度は襟を

  つかんで引き寄せて、魚雷をかわそうとしたのでした。


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 私達は、船酔いのことも忘れて、 西京丸の武勲話に聞き入っていったのです。

 「 さすがやな、 ここ一番いうところで、ごっつう肝がすわっちょるがな。」と感心

 して 羽仁海軍中佐のお話しを聞いたのでした。

 当時の私達は、全員がいずれは 我も武勲をたてて、英雄に当時なりたかったの

 です。

 つまり、野心があって若かったのです。

 自ら聖書を持って、平和を説いて歩くようになるとは、想像もしていなかったのです。


 【明日に続く。】