第1755回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1754話 征清大総督の事。 2017年1月20日金曜日の投稿です。



 1894年、明治27年に朝鮮半島で暴動が発生し、日本人を保護する為と

称して、日本陸軍山縣有朋公らの派閥は、 朝鮮半島に兵を進め、そこで

高麗王朝の保守派が頼んだ、清国からの援軍、 つまり 宋慶 大将軍の軍勢

と、当時の平壌 現在の北朝鮮の ピョンヤンで戦争を始めて、どんどんエス

レートして、さらに、年が変わって、 明治28年からは、対岸の支那大陸山東

半島に出兵して、これを占領し、戦争が止まらなくなっていったのです。



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              【 長州閥の元締めであった 山縣有朋公 】


   これらの戦争の渦の中心は、 長州閥と呼ばれる巨大な権力グループの

  中心人物、 山縣有朋公 であったのです。

  「 これからーのーー大日本帝国は、もっともっと おおきゅうならんといけん

   のんじゃ、のうーー。」と言って、 今度は 何を言い出したかというと、

   清国の首都の北京を占領して、 大陸全体を 大日本帝国にしようという

   途方もない構想であったのです。

   「 今はのうーー清国いうても、瀕死の重傷者みたいなもんじゃけー、

    突きゃー簡単にたおれるわーー。」と、言って、どんどん陸軍主導で

    物事を進めていき、 あっという間に、御前会議も、自分の考えを通して

    征清大総督という、官職を作って、 その役職には お飾りの、皇族を

    就任させて、自らが後で采配を採っていったのです。


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         【 征清大総督 小松宮彰仁 【こまつのみや あきひと】親王





    征清大総督に 小松宮 彰仁親王様を据えると、 今度は、大阪府

    第4師団 山沢 靜吾 陸軍中将に命じて、 部隊を大阪から広島に

    転進させ、宇品港から輸送船に乗船させ、大陸に軍隊を送る計画をどん

    どん進めていったのです。


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   【 大阪 第4師団 師団長 山沢 静吾 陸軍中将 鹿児島県出身 】



  そして、 東京から 近衛師団を広島に転進させ、 師団長に、北白川宮

  能久親王様を推挙して、 御輿を担いで、 腹心の取りまき佐官をつけて、

  これも、大陸に派兵する計画を進めていったのです。


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             【 近衛師団 師団長 北白川 能久親王  】  


   当時の明治憲法では、陸軍は天皇直属の組織で、 内閣総理大臣や、外務

 大臣などの閣僚は、 口出しが出来ない仕組みであったのです。


        「 これを 天皇陛下統帥権。」と、呼びます。

 「戦争が始まる前は、 内閣や、外務省が国策を主導し、 いざ、開戦となった

 場合は、 陸軍が主導して、天皇陛下の元、これを主導しつかまつる。」と、

 こんな言葉をならべて、 当時の閣僚は、口出しが出来なかったそうです。


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     大日本帝国と言う国は、戦争へ戦争へと進んで行き、だれも止めることが

    出来ず、 陸軍が暴走して、 戦火が拡大していったのです。

    陸軍の動きを止めたり、反対したりすると、 即、 自身の失脚につなかる

    ので、みんな黙り込んでしまったようです。


    【 明日に続く。】