第1762回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1761話 日清戦争当時の世論操作の事。

                         2017年1月27日金曜日の投稿です。





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 1895年 明治28年3月当時の新聞の報道と言うのは、 陸軍というか、政府の

宣伝機関誌のようになっていき、 それまで、清 という国や、 高麗という国は、

日本人からすると、 進んだ先進国で、 例えば、 書、画、茶碗 硯 などにしても

「清国からの渡来品です。」と言えば、 国産の品より、高い値段で売れる程度、

ブランドイメージがあったのです。

 今風に言えば、 同じ 国内で作ったハンドバックでも、 ヨーロッパの某ブランド

メーカーの名前を騙って売るとよく売れるような そんな感じであったのですが、

この明治27年の夏ぐらいから、連日新聞がおかしな報道や、陸軍の都合の良い

報道ばかり行った結果、 清国や、高麗を見下して、 そこに住む人達を、品物

扱いするような、傲慢な日本人が作られていったのです。


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    新聞記者は、 記事のネタを得られなくなると困るわけでして、 陸軍が

  嫌うような記事、つまり、反戦の記事や、 人の死を報道すると、 戦争反対

  が起こるのを非常に恐れていたのです。

  そこで、 情報統制して、 陸軍や海軍に都合の良い情報ばかりを新聞記者

  に書かせるよう圧力をかけ、 それに反する事実を報道しようとする人達を

  排除したり、 暗殺したり、 嫌がらせしたりと、 報道規制を行って行ったのです。

  この従軍記者達の流した記事ネタが、日本に送られ、さらに新聞がよく売れる

  ように、「 悪徳支那人。」とか、いろんな悪口が書かれ、 「 天に変わって、

  清を大日本帝国が成敗しないといけない。」とか、そんな風潮が、日本全土に

  広まっていったのです。


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   こんな報道が数ヶ月続くと、 どこの国でもそうですが、飛び跳ねる人が姿を

 表すわけです。

 本人は、口では、「 御国の為に。」などと、 もっともらしい事を言うのですが、

 私から見ると、 自分の立場だけで物を考え、 相手のことを考えてはおらず、

 一方的な、 独りよがりの考えなわけです。

 私が、 航空兵であった頃、 部下に 「集団行動、協調性、 絶えず周囲の人の

 事を考えて行動せよ。」と、語っていたのですが、 身勝手な人が飛び跳ねる

 事件が起きていき、 国際社会から見た日本の表札に、傷がつく事件が

 起きていったのです。


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  この事件を聞いた 伊藤 博文公は、「 なにをしょうるんなら、ばかじゃのう。」

と、思わずつぶやいて、 ため息をつくことになっていったのです。



       【 明日に続く。】