第1742回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のバイロットの物語】
第1741話 アントニー要塞の事。 2017年2月26日日曜日の投稿です。
戦後の日本人がほとんど知らない、忘れ去られた出来事ですが、
日本人が、清国人と話をして、日本領に台湾が割譲されたと言う事は、日本側
の勝手な申立で、 台湾の人や、 実は、イギリスやドイツなども、大きな迷惑
というか、 日本人を排除しようとしていたのです。
それはどういうことかというと、アヘンを、 つまり麻薬の市場の台湾を日本人に
奪われる事を恐れたのです。
日本の江戸時代の初め、 台湾は、現地の先住民を武力でオランダが
屈服させて、 占領し、 日本との貿易の中継地点としていたのです。
但し、それは中国大陸に近い一部分で、 南の太平洋側は、未開の
土民の各部族の自治であったそうです。
【 淡水のアントニー要塞の跡 】
その後、 広東人の海賊と日本人の妻との間に生まれた、明国人が、
明の海賊の軍勢でオランダ人を襲い、 台湾からオランダ人の勢力を皆殺し
にして、 その後、 そのオランダ人の住んでいた城塞が残っていたのを、
イギリスが、1867年から、 商館を置いて、 表向きは、お茶、樟脳の取引
の拠点であったのですが、実際は、 イギリスの工作機関の拠点であったの
です。
その場所をアントニー要塞と呼び、 10人程度のイギリス人が滞在し、
拠点としていたのです。
そのアンソニー要塞は、どこにあったのかというと、 1895年 明治28年
6月17日 樺山 台湾総督が、台湾施政宣言を行った、台北【たいぺい】の
北側の川の河口の 淡水 という場所にあったのです。
当時ここに、イギリスやドイツ、アメリカ、フランス、などの外国人商社こと、
西洋諸国の諜報工作機関が根城にしていたのです。
台湾の 黒旗軍に 武器弾薬などの物資を供給するため、清国が智恵を
しぼって考え出したのは、 イギリス人やドイツ人の外国人を利用して、
彼等に大金を渡して、 日本側の目をごまかして、物資を黒旗軍に渡す
事であったのです。
日本側から見ると、密輸であったのですが、 清国側から見ると、補給
作戦であったのです。
実は、 この淡水の町中に、老婆に変装した、 台湾民主国 総統
唐 景松 が潜んでいたのです。
彼は、基隆の総統府を脱出する時、多額の金貨を持ち出していて、
それを淡水のドイツ人商売人に渡して、 ドイツの商船 アーター号
という船に紛れこみ、 台湾を脱出したと伝えられています。
どうして、清国人が西洋諸国の商船を隠れ蓑にしようとしたのかと
などは日本海軍は行えなかったのです。
つまり、戦争当事国でもない商船の積みになどを没収したり
そういうことは 国際法で禁止されていたのです。
これを利用して、清国政府はアモイから、物資を台湾に送り、
ドイツ商人やイギリス商人やフランスの商人達は、法外な値段で
これらの仕事を請け負い、 台湾に どんどん武器弾薬が
流れ込んでいったようです。
そして、西洋人は 清国に加担することで、台湾で、清国人や広東人
雲南人を日本人と戦わせ、台湾から日本人を追い払おうとして、
自分達のアヘン市場を守ろうとし、 そして、清国の足元を見て、法外
に供給していったのです。
つまり、 一石2丁の考えであったのです。
これらの動きは、日本側にとって大きな問題となっていったのです。
【 明日に続く。】