第1756回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1755話 新竹の攻防戦の事。 2017年3月12日日曜日の投稿です。





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  1895年 明治28年7月7日夜間より始まった、 新竹周辺の 台南軍への

 攻撃は、相手の弱い箇所の陣地を 一つ一つ潰して、 突いて、突いて、突き

 まくる、そういう夜襲攻撃から始まったそうです。

 これらの攻撃の主体は、 山根 信成 陸軍少将の指揮する 近衛第2旅団を

 中心に行われ、 北側からは、小島 政利 陸軍大佐の指揮する 近衛第1連隊

 の残存兵力が攻撃を開始したのです。


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  もともとが寄せ集めて、 軍事訓練なども受けてないような農民を強制徴兵

して、 台湾人が無理矢理連れてこられていた、義勇軍的な軍勢は、暗闇の中

崩壊を開始し、日本の近衛師団がどんどん進撃し、 彼等は逃走を開始したよう

です。

これらの混乱で、寝ていた 黒旗軍の精鋭部隊も、何が何やら状況がわからず

自らの部隊が包囲されることを恐れて、 一旦、後退を始めていき、 これらを

見た、ほかの部隊も命令を待たずに逃走していったそうです。


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     翌日の7月8日には、北に近衛第2連隊の残存兵力、 東に近衛第1連隊

   そして、東南に 近衛第2旅団が駒を進め、 日中に戦闘になったようです。


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     数は約5倍程度の兵力の台南軍でしたが、その装備は旧式の小銃や

  火砲、弓矢、槍であったのです。


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       当時の記録によると、 台南軍の指揮官は、 姜 紹組という人だった

     そうですが、 その攻撃も、各部隊が統制が取れておらず、 バラバラに

     個別に攻撃してくるような戦闘行為であったそうです。



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    これらの軍勢に、 近衛師団は遠距離から瑠弾を発射して、どんどん攻撃

  を加えていったようです。


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   新竹の海岸からは、日本海軍の艦砲射撃が加えられ、 兵力は台南軍が

  1万人とも2万人とも言われていたのですが、 火力では 日本側が有利な

  状況で、 台南側の陣地を、彼等の射程外から射撃して、どんどん潰して

  行ったようです。



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    自分達が 引き金を引く前に、 どんどん砲弾が頭の上に飛来し、瑠弾が

   炸裂し、 無理矢理連れてきていた台湾人が逃走し、 清国人だけが取り

   残され、 彼等だけで応戦した結果、 台南軍は西に逃走していったようです。



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    しかしながら、 近衛師団の 北白川宮 能久王の司令部は、 追撃は

   行わず 新竹の手前までで、 進撃を止めたようです。

   と言うのが、日本側も、兵力不足で、 そのまま進撃したら、孤立するおそれが

   あったのです。

  

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    この戦闘で、台南軍側の指揮官 姜 紹組が 日本軍に包囲され7月9日

  に自決し、 台南軍はバラバラに西に四散していったのです。

  たしかに、人数は多かったのですが、無理矢理脅迫されて連れてこられた台湾

  人と、 義勇兵の 清国人の軍隊は、訓練などが出来ておらず、部隊と部隊の

  連絡もよく取れていなかったようです。

  それ故、 どこかの部隊が西に逃げていくのを見ると、 戦場に孤立するのを

  恐れて、 我も我もと命令を待たずに、逃走していったようです。



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   この戦闘、 日本国内では、「 近衛師団大勝利。」と 報道されたのですが、

  近衛師団では、 多くが疫病や風土病で兵士が倒れ、 多くの将校も倒れて

  動けない中、 なんとか歩ける人間を集めて、 打って出たのですが、兵力の

  消耗が激しく、 次の戦闘を行う余力が無くなっていったのです。

  


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     このような 7月初頭の戦闘で、東部の新竹の防衛戦では、日本側が

    とりあえず部分的に勝利を収めたのですが、 その後、台南軍との

    戦闘は、膠着状態となって行ったのです。


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  当時の首都の広島大本営で、これらの戦況を聞いた、山縣 有朋公は、戦闘が

 長引いては、 後々に災いが残ると考えて、 「兵力を増強して、一気に台南軍を

 たたきつぶし、 逆らう者は皆殺しにして、根絶やしにせぃ。」と、命令を出すの

 です。

そのような事情で、 今度は、支那大陸に派遣していたどこかの師団を撤退させて

台湾に輸送船で転進させる必要が出て来たのです。



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    ところが当時、 遼東半島の北では、 日本陸軍と清国軍のにらみ合いは

   続いていて、日本の外務省が、清国と賠償金の支払いについて、交渉を

   重ねている最中で、 ここから兵力を引き揚げるわけにはいかない事情が

   あったのです。


     【 明日に続く。】