第1765回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1764話 台湾宣撫作戦の立案の事。 2017年3月21日火曜日の投稿です。
1895年 明治28年7月の当時、清国からの工作員、傭兵などが台湾に
入り込み 抗日活動と呼ばれるゲリラ活動を盛んに行い、日本の近衛師団は
当時、 ゲリラを掃討すると称して、台湾人の民家に家宅捜索を繰り返し、現地
の住民と、日本人との間に溝が広がって行ったのです。
台湾の住民をすべて殺してしまうのならともかく、それが出来ない中で、この
ような家宅捜索などを繰り返すと、反感が増すだけで、日本人と台湾人が反目
して、喜ぶのは誰かというと、清国人【中国人】なわけです。
【 台湾総督 樺山 資紀 海軍大将 鹿児島県出身】
そこで、 樺山台湾総督が決定したのは、 高島 鞆之助 台湾副総督を指揮官
に台湾人に対して、宣撫作戦【 せんぶさくせん】と、対 台湾商人 懐柔作戦と、
アヘン追放作戦を行っていく事が決定されたのです。
【 台湾副総督 高島 鞆之助 陸軍中将 鹿児島県出身】
まず、 台湾にアヘンを持ち込み、中毒患者を増やして私腹を肥やす、
西洋人、清国人を洗い出して、逮捕、台湾から追放し、 アヘンが身を滅ぼす
悪い薬だと、台湾人に宣撫せしめる事になっていったのです。
当時、台湾にアヘンを持ち込んでいたのは、イギリス、フランス、ドイツ
人でありました。
それを 清国人が仕入れて、 台湾各地にアヘンを販売するピラミッド状の
アヘン販売組織が根を張っていたのです。
これらのアヘンで利益を上げている組織を台湾から放逐していくことが行
われていったのです。
台湾総督府の業務を発注し、 彼等に仕事をまわし、金銭を支払い、そして
彼等をまず、日本側に取り込んでいくことが行われていったのです。
台湾人商人達は、 商機到来と考えて、 単価の良い仕事に飛びつき、日本
側に表面上は協力していったのです。
これらの台湾人商人を利用して、河合 操 台湾総督 参謀が計画した
台湾人による宣撫工作作戦が実施されることになっていったのです。
【 明日に続く。 転載 コピー可 自由】