第1767回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1766話 陸軍第2師団の増派決定の事。2017年3月23日木曜日の投稿です。




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            【 当時 日本の首都であった 広島大本営 】
          


   ところで 台湾で、日本の近衛師団が病人の増加で動けなくなり、 樺山 

台湾総督は、 台南攻略平定を兵力不足で延期し、台湾の行商人を抱き込んで、

調略と宣撫工作を行っていた当時、 日本の広島大本営では、 台湾を早期に

制圧すべきとの意見が多数となり、 1895年 明治28年7月14日に発生した

と伝えられる 桜井 茂夫 陸軍特務曹長指揮の小隊全滅事件が報じられると、

さらにその増派意見が高まり、 大陸から無理をして、陸軍の師団を台湾に転進

させる事が決定されたのです。

その師団とは、 宮城県 仙台市に拠点を置く 陸軍第2師団であったのです。



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     【 第2師団長から占領地総督に親補された 佐久間 左馬太陸軍中将 】




   以前、山東半島の威海衛【ウェイハイ】攻略のお話しで紹介した当時、仙台

第2師団の師団長は、 佐久間 左馬太 陸軍中将でしたが、 この地域の占領地

総督に就任し、 その年の明治28年4月5日、 つまり、山口県赤間ヶ関の日清

講和条約の12日前程度に、 当時 陸軍東京第1旅団の旅団長であった、乃木

希典 陸軍少将が、 中将に進級し、 仙台第2師団長となっていて、 乃木閣下に

台湾への転進命令が発令されたのです。



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             【 仙台 第2師団長 乃木 希典 陸軍中将 】


  戦後の現在、 当時の第2師団の構成を伝える資料は大変に少ないのですが

 私の手元の資料には、 第2師団司令部の隷下に2個旅団があって、それは



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           【  歩兵第3旅団 旅団長 山口素臣 【もとおみ】陸軍少将 】


  歩兵 第3旅団  旅団長 山口 素臣 陸軍少将がいて、 その旅団司令部の

 隷下に、 仙台 歩兵第4連隊 と、新発田 歩兵第16連隊 の2個連隊が配置

 されていたのです。



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     【 歩兵第4旅団 旅団長 伏見宮貞愛親王 陸軍少将格 】

  それから、 もう一つ、 歩兵第4旅団 旅団長 伏見宮貞愛親王 様がいて

  この人は、海軍の皇族の重鎮となる 伏見宮博恭王様の お父上にあたる

  人でした。

  その隷下に、 青森 歩兵第5連隊  そして 仙台 歩兵第17連隊が配置

  されていたのです。


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  これ以外の部隊もあって、騎兵大隊、 野戦砲兵第2連隊、工兵大隊なども、

  第2師団の隷下に配置されていたようです。
 
  当時の仙台 第2師団というのは、 師団長に 乃木 陸軍中将がいて、その

  下に、 2名の陸軍少将がそれぞれ旅団長として存在し、 それぞれの旅団は

  2個連隊によって構成されていたようです。


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     当時の記録では、輸送船が不足し、師団が一遍に全部一緒に移動する

    事が不可能で、 どういうわけか、 伏見宮 貞愛親王様が指揮する 陸軍

    第4旅団の 青森 歩兵第5連隊から 台湾への転進が開始されたようです。



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 この1番に台湾に上陸することになった 青森 歩兵第5連隊の渡部 進 陸軍

 中佐の部隊は、 1895年 明治28年 8月2日 大陸を出発し、4日後の8月

 6日に 台湾の東部の基隆【キールン】に到着して上陸したようで、当時かんかん

 照りの夏日で、行軍中、倒れる兵士が続出していったのです。


  【明日に続く。】