第1768回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1767話 台南攻略軍の編成の事。 2017年3月24日金曜日の投稿です。




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  大陸から 乃木 希典陸軍中将の指揮する仙台第2師団の兵力が到着する

 ようになっていった8月初頭、 台湾総督府では、 副総督の 高島 鞆之助

 陸軍中将を司令官にして、台南攻略軍を組織し、 どう台南民主国側を攻めるか

 軍議が台北で開かれたようです。




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 【  1895年 明治28年乙未戦争の当時の台湾での兵力の布陣図 】



  日本側は、 台湾人の行商人を手なずけて、 敵地に潜入させ情報を収集し、

  台中付近の地主などを日本側に調略し、どんどん兵力を西に動かしていた

  ようです。



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    【 台南攻略軍 総司令官 台湾副総督 高島 鞆之助 陸軍中将】



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     当時の 台南攻略軍司令部が立案した戦術というのは、 この台中の

   彰化 という町あたりに近衛師団の兵力を展開し、 台南軍を引き寄せ、



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   なるべくこの地域で釘付けにしてしまい、その間に、 第2師団の歩兵

   第3旅団の仙台第4連隊と、新発田歩兵第16連隊の兵力を海上から、

   澎湖諸島の馬公を経由して、 さらに海上を西に進めて、2箇所に上陸

   せしめ、 ここに新たな戦線を作ろうという作戦であったのです。



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      こうすると、 台南民主国側は、前と後から攻められるわけで、兵力を

     二手に分け、応戦することになり、 一気に 台南を突く作戦が立案

     されていったのです。



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    その作戦の時期は、 第2師団の 第3旅団が台湾に到着後、すみやかに

  行われる事が決定されたのですが、 なかなか移動が進まなかったのです。

  どういうことかというと、 日本の輸送船は、 朝鮮や、遼東半島山東半島

  駐留する兵力に物資を輸送する事でオーパーヒートしていて、 台湾に

  毎日のように輸送船を到着させるだけで手一杯で、 一気に第2師団の兵力

  をどっさり輸送する事は不可能であったのです。


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   ここが、アメリカであったら、どんどん物資や兵力が届いてーーとなるので

  しょうが、当時の日本には輸送船は御用繁多で、台湾のみを優先することは

  出来なかったようです。



   【 明日に続く。】