第1773回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1772話 清国人の離間の計の事。2017年3月29日水曜日の投稿です。





イメージ 1



               【  台南共和國 総統 劉 永福 大将軍 】


   1895年 明治28年8月後半、 劉 永福 総統は、陰謀をめぐらし、日本側

に味方していた 台中の地主や、有力者達が、離反するように いろんな陰謀を

実行していったのです。



イメージ 2



            【 乙未戦争 1895年 8月末の両軍の布陣図 】




イメージ 3



     大日本帝国近衛師団の残存主力は、 台中の有力者を調略し、協力

   を確約させ、 彰化 という町に駒を進め、 ここを中心として、台中を勢力下

   に置こうと当時色々手を打っていたようです。


イメージ 4
 



      ところが、 近衛師団の司令部が、 あれよあれよと言う間に、現地で

     台湾人女性が、強姦の上、殺害されるという被害が続いて行き、 どういう

     わけか、「 日本人軍夫の犯行。」と言う噂が広まっていき、現地の一度

     協力を約束をした 台中の有力者達が、 裏切って、ゲリラ活動を始め

     近衛師団の輸送部隊を襲いだしたのです。


イメージ 5




      台中に進出した近衛師団は孤立した形となり、 補給物資などが届か

     なくなり、 近衛師団は撤退をすることになっていったそうです。


イメージ 6



   8月後半、 このような出来事があって、 近衛師団の中で、 当初 台湾人

  協力者が 台中の有力者と協力を取り付けたという話は作り事で、実は、

  日本軍を 台中におびき寄せ、 周辺を包囲して、全滅させようという企てに

  台湾人行商人達が協力していたのではないかという噂が広がって行ったの

  です。




イメージ 7
 


 そんな噂の中、「第2師団の青森第5連隊長 渡部 進 陸軍中佐以下、数百名

 が原因不明の病気で倒れて動けなくなったのは、実は、台湾人が井戸に毒を入

 れてそれを飲んで みんなひっくり返ったらしい。」とか、 「 近衛第3連隊長の

  中岡 祐保 陸軍中佐達が、 原因不明の病気で数百名倒れたのは、支那人

  の用意した、支那の猛毒であったらしい。」とか、 日本側に協力している格好

  をしている台湾人の 幸 顕栄 らは、実は 台南の諜報工作員で、この度は

  やつらに騙されたのだ。」  とかの流言飛語が広がって行ったのです。


イメージ 8


    【 乙未戦争中、台湾で日本側に協力し尽力した 幸 顕栄 貴族院議員 】



  このような、噂が、噂となり、 だんだんと、日本人は、少しでも戦争での犠牲者

 を少なくし、台湾の治安を保ちながら、清国人を大陸に戻して、 大日本大国

 の統治下で、 新しい台湾の秩序建設に協力しようとしていた 台湾の基隆や

 台北の行商人達の人達を疑うようになっていったのです。



イメージ 9



              【 南進軍 総司令官 高島 鞆之助 陸軍中将 】


    当時の台湾で活動していた 陸軍の司令部では、「 所詮、台湾人は信用

  ならん。」 と申立て、 証拠も無いのに、日本側で動いていた 台湾人の協力者

  を逮捕していったのです。

  これこそ、清国人の思うつぼで、 日本の南進軍司令部は、清国人の考えた

  離間の計にまんまと引っかかり、 大切な協力者を退けていったのです。

  

イメージ 10
 


 そして、 武力によって 徹底的に抵抗する清国人、台湾人は処刑し、ゲリラ

活動を支援する村は、 村事焼き払う命令を出していったのです。


イメージ 11



    当時、 大陸から次々、 第2師団の連隊が到着し、 兵力を結集して、

   一気にたたきつぶす作戦が立案されていったのです。


    【 明日に続く  転載 コピー 可 自由。】