第1785回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1784話 乙未戦争 「劉 永福 総統を捜せ。」の事。
2017年4月10日月曜日の投稿です。
1895年 明治28年10月中旬、 台南民主國は事実上消滅し、その残党は
南側の山岳地帯に逃走し、 台南の町などは、日本陸軍の占領というか、鎮圧
下に置かれたのです。
【南進軍総司令官 高島 鞆之助 陸軍中将 鹿児島県出身 】
南進軍司令官の高島 鞆之助 陸軍中将は、反乱の首謀者の劉 永福
総統を捕らえ、 山岳地帯に逃走した 黒旗軍の兵士や、台湾人の兵士を
1人残らず捕縛して、見せしめのために処刑し、 根絶やしにするように命令
を発令したのです。
【 台南民主國 劉 永福 総統 】
当時、台南民主國の人達も、日本陸軍も、劉 永福 総統は台湾のどこか
に隠れていると考えていたようですが、本人は煙のように消え失せて、中国
本土のアモイに逃走していたそうです。
日本陸軍では、劉 永福 総統と、その一味が台南付近の民家に潜んでい
るに違いないと考えて、 村々を包囲して、民家を強引に家捜して、抵抗したり、
敗残兵を匿う物は同罪として、朝敵と称して、処刑していったのです。
みなさん、台湾の人達の目線で考えて見ると、 自分達の知らない場所で、清国
と日本が勝手に戦争をして、自分達に何も相談無く、台湾を日本に引き渡すと勝手に
清国人が取り決めをして、 取り決めをした清国人が台湾に来て、 「日本人に協力
したら殺す。」と脅迫され、 挙げ句の果てには、若い男を無理矢理兵士として連れて
行き、 日本と戦争をして、台南の地は焼け野原になっていったのです。
どうして こうなっていったのでしょうか、 実は日本人にも昭和20年から26年
の間経験があることですが、 自分達の国家という物がなく、 そして、自分達の
家や土地を 自分達で守る武力を持ち合わせていなかったからです。
国が無いと、 外交交渉が出来ないのです。
当時の日本も、南朝鮮に漁船が襲われ、4500人程連行され、射殺される人が
多数出ても、 何もする事が出来なかったように、 当時の台湾も同様であったの
です。
台湾の人達が、中国大陸の清国人や、日本列島の日本人を追い払うまでとは
言わなくても、 自分達を守る程度抑止力の武力を持ち合わせ、対等に 外交に
よって、平和を維持していけたなら このような事にはならなかったと思います。
武力を持ち合わせていないので、 相手に申し入れしても 相手にされないわけ
です。
平和というのは 外交交渉によって保たれ、 外交交渉は相手の国と同等の
国力を有することで初めて成立して行ったのです。
国力とは、 軍事力、経済力、生産力などの総合的な力を言います。
相手側も、戦争をしかけたら、こちらをケガをする、 それなら 話し合いの
外交交渉でという事になっていったわけです。
力のない物は 軍事力で征服され、 植民地にされ、 殺されても文句の言え
ない状態に置かれ、 文化財や農作物などの産物資源など、良い物は みんな
植民地支配者に持ち去られていく、 こういう時代であったのです。
ところで、日本陸軍では、逃走した敗残兵などを捜索して、皆殺しにしていった
そうですが、 ちょうどその頃、日本海軍でも 清国人が船に乗って 大陸に逃走
するのを防ぐ為、 警戒を厳重にしていた当時、 1隻の イギリスの国旗を掲げた
商船を発見したのです。
その後、 日本海軍を揺るがす大きな事件に発展していくのでした。
【 明日に続く。】