第1795回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1794話 テールス号事件のその後の事。 2017年4月19日水曜日の投稿です。



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  【 第1793話の続きより。】


  1895年 明治28年10月に発生した、通報艦 八重山と、イギリス商船 

テールス号との拿捕事件は、 イギリス側から、「 開戦も辞さず。」との強硬な

圧力によって 当時の伊藤 博文 内閣総理大臣らに大きな影響を与えたのです。



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                【 林 董 【 すぐる】 日本側全権大使  】


    明治28年5月から、外務次官から 対 清国 日本側全権大使に就任して

  下関の日清講和条約が紙くずのようになっていった後始末をおこなっていた

  林  董 全権大使の外交交渉にも大きく影響を与えたのです。

  アメリカ合衆国からは、「 在留邦人保護と言いながら、日本は侵略行為を行って

  いる。」と、 即時撤退を要求され、 ドイツ、ロシア、フランスからは、三国干渉

  と呼ばれる、日本の占領地を、清国から借り受けたと申立、 日本に武力をちら

  つかせ撤退を要求されていた最中、 これにイギリスが加わる形で、「 開戦も

  辞さず。」と、 戦争をちらつかせて、日本に圧力をかけてきたのです。





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              【  西郷 従道 海軍大臣  薩摩藩出身 】


   日本海軍は、 そのような事になっていけば、日本は世界を相手に戦を

 行う事となり、 日本は部分的に勝利をすることはあっても、いずれ破滅し、

 神国 大日本帝国が 西洋人に占領され、植民地になってしまう可能性が

 大きいので、 一歩下がって、刀を構え直すべきとの考えにまとまっていった

 ようです。

  

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               【 海軍軍令部長 伊藤 祐享 海軍大将 】


   そして、 国際社会、大英帝国が納得する テールス号事件の 形を整える

  ことが、 1895年 明治28年 11月16日 伊藤 祐享 海軍軍令部長から

  台湾沖に展開していた、連合艦隊司令長官宛に 命令が発令されたのです。

  この命令は、 現地で 作戦遂行中の 連合艦隊司令部に大きな衝撃を与え

  たようです。




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   その内容とは次の如しでありました。


一、 連合艦隊は、明治28年11月16日をもって、解隊する。

二、 連合艦隊 司令長官 海軍中将 有地 品之允 を解任し、予備役に処す。

三、 通報艦 八重山 艦長  海軍大佐 平山 藤次郎を解任し、予備役に処す。

以上。


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        【 連合艦隊司令長官  有地 品之允 海軍中将 山口県出身 】





  連合艦隊を解散して、 司令長官の 有地 品之允 海軍中将を予備役に

処すと言うのは、 わかりやすく言うと、 連合艦隊司令長官を辞めさせて、 そして

海軍を退職させるという事であったのです。


     つまり 有地 海軍中将を クビにするという事でありました。



 当時、 八重山の艦長 平山 藤次郎 海軍大佐は仕方ないとして、 どうして

有地 司令長官が、こんな処分を受けなければならないのか、納得がいかない

と言う人が多かったそうです。

 「考えて見れば、 有地 品之允 連合艦隊司令長官が いったい何をしたのか、

なにも、恥ずべき事はやってはいないではないか。」 と言う訳です。



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            【  八重山 艦長  平山 藤次郎 海軍大佐 】


   当時、 平山 藤次郎 海軍大佐の周辺と、連合艦隊の幕僚らの間で、

  当時の 内閣や、外務省、 それに追随した、 海軍軍令部長 伊藤 祐享

  海軍中将らの行動に、 不満が爆発していったようです。

  伊藤さんと言う人は、 随分用心深く、 失敗をしないように、細心の注意を

  払う人であったのですが、反面、過激な軍人から見ると、「 あの、腰抜けが。」

  と言う人も当時多かったのです。

  

 
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           【  台湾総督 樺山 資紀 海軍大将   薩摩藩出身 】



 清 帝国の6カ国を相手に戦に進んで行ったとしたら、その先どうなったかーー。

 話して聞かせて、 沈静化させていったのは、 現地の海軍の実力者 樺山 資紀

 海軍大将であったようです。

 日本側は、 イギリスと話をつけて、 これから 5カ国と和議の協議をまとめて

行く必要に迫られていったのです。


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    中国人の外交というのはずいぶん したたかで、 明治維新の元老、世故に

   たけていた、 伊藤 博文 内閣総理大臣達を、手のひらの上で振り回して

   いったのです。

 

   【 明日に続く。】