第1797回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1796話 遼東半島交渉前夜の事。 2017年4月21日金曜日の投稿です。
1895年11月初旬、 乙未戦争【いつみせんそう】と呼ばれる 台湾での
武力闘争で、台南が陥落し、 前話で紹介した、テールス号事件が発生し、
日本の外務省は、 三国干渉と呼ばれる、列強の軍事圧力に屈した形を
取りつつも、何とか、国民に説明がつく形を模索していたのです。
が支払い終わるまで占領すると発表していたからです。
こんなお話の新聞を読んで、日本国民は万歳三唱していたので、「実は
伊藤 博文 内閣総理大臣以下、 外務省が清国人に騙されました。」
と、発表など出来なかったのです。
日本陸軍は、内閣を騙して、当初は、「 在朝鮮の日本人の保護。」という名目
で陸軍部隊を派遣したのです。
されると考えて、清国に援軍を要請し、 日本側と清国側との戦争になって
いったのです。
当初は、自衛目的の範囲が、陸軍の山縣 有朋 公らが、天皇の陸軍の統帥
権を叫んで、暴走し、手がつけられなくなっていったのです。
ない構想を当時持っていたようです。
これらの動きに、 反発したのが、当時のアメリカ合衆国政府でした。
当時のアメリカ合衆国政府は、日本を侵略者と断定し、すぐさま撤退して、
国際秩序を守るように圧力をかけつつ、 自分達は、当時、スペイン領であった
フィリピンの部族に、秘密裏に、武器弾薬を渡して、 反乱を煽動していたのです。
「 目くそが 鼻くそを 笑う。」 と言う言葉がありますが、 まさにその通りの
出来事が続いていたのです。
【 和平交渉が行われた 赤間ヶ関市の春帆楼 】
日清の和平交渉で、取り決めをして講和条約を締結し、日本側は大勝利に
満足していたのも数週間で、 清国が 日本の占領地を、ロシア、フランス、ドイツ
に借地契約を結び、この3カ国が、「 清国から土地を借りたので、遼東半島や
山東半島から出ていくように。」と、 軍事力をちらつかせて、日本側に圧力を
かけてきたのが、 明治28年の6月から10月の出来事でありました。
その間、清国はいろんな計略をめぐらせて、 日本側を追い詰めていったの
です。
台湾は、貢ぎ物を献上していた 属国なので、 台湾のことは清国は関与
せずなどと言いながら、 広東や雲南の兵力を台湾に移動させ、ここで
反乱を起こして、 台湾を混ぜ繰り返していたのが、 やっと鎮圧されたのが
明治28年の10月の後半頃でした。
そんな したたかな 清国に出向いて、 交渉をすることになったのは、
明治28年5月まで、外務次官を務めていた 林 董 【 はやし ただす】
さんでありました。
函館の五稜郭で戦争をして、最後まで明治政府と交戦していた人でありました。
そういう人でしたが、今度は、 命をかけて、 清国の北京に出向いて、日清
戦争の後始末を行いに大陸に渡って、 外交交渉を行い、その目的は、遼東
半島を返還する代わりに、 多額の賠償金を清国から追加で受け取る約束を
取り付けることであったそうです。
【 明日に続く。】