第1824回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1823話 丙寅洋擾【へいいんようじょう】朝鮮の築城術の事。
2017年5月18日木曜日の投稿です。
1866年 日本の慶応2年11月9日に、フランス側は、夜間夜襲などを
仕掛けてくる江華島の残存勢力を武力討伐するため、沿岸部から、山岳部に
部隊を進めたようです。
位置的に言うと、 おおよそ、このあたりの山中であったそうです。
これらの山岳部での戦闘を、 総称して 鼎足山城【ジョンチョクオンソンケ】
の戦いと呼んでいるようです。
言い伝えによると、梁 憲珠 と言う人が部隊を動かしていたと伝えられています。
これらの 朝鮮の陣地というか、お城というのは、西洋の大砲に攻撃されると
大変弱い構造でした。
日本のお城も西洋の大砲には弱い構造です。
石垣の上に木造の構造物、そして 土壁、貝殻を潰して粉を混ぜ合わせた
漆喰という物を塗って出来ていますが、朝鮮の当時のお城を見て見ると、
中国のお城を模倣したような造りで、石を重ねて、構造物を作ってあったよう
です。
こういう 城と言うか 砦というか、石垣の陣地は、弓矢や槍などには防御
効果があったのですが、 フランス人が使用する長距離砲の攻撃の前には、
よい目標になるだけであったようです。
このような、朝鮮側の兵器が届かない、遠くから、大砲を撃ち込んで来るわけ
で、その場所にいると、一方的に被害が出るわけです。
そう言うわけで、どんどん山中へ、山中へと、後退していったようです。
【明日に続く。】