第1836回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1835話 ポサドニック号事件と、長崎奉行 岡部 長常の事。
2017年5月30日火曜日の投稿です。
【前話 第1834話の続きより。】
どうするか指示を請い、 戦をする場合、 援軍を要請する手紙を持った使者が
長崎奉行に面会を求めたようです。
に相当する、対外的な外交を行う立場で、 長崎奉行所は、 今風に言えば
外務省に相当する場所であったのです。
当時の長崎奉行は、 岡部 長常 と言う人で、 彼は手紙を読むと、考え混んだ
あげく、なんと、 遠い 江戸に飛脚を走らせ、 老中の指示を請うたのです。
どういうことかというと、長崎奉行は、市中の取り締まりならまだしも、外国の軍艦
と戦争をする戦力を保持していなかったのです。
当時、 長崎から 江戸まで、飛脚と言っても すごい月日がかかるわけでして、
約3ヶ月も過ぎた頃であったのです。
そして、老中達が思いついた対策というのは、 当時 西洋を視察して戻って
退き交渉に当たらせることであったのです。
当時、オランダ語が少しわかって、 英語も辞書を片手に、なんとか文章
乗り込んで 太平洋を渡った 威臨丸 【かいりんまる】で、対馬に行く事になった
のです。
この威臨丸 620トン 大砲12門搭載 速力6ノットの 江戸幕府の虎の子の
軍艦であったのですが、 西洋の他の蒸気軍艦と比較すると、時代遅れの艦艇で
ロシア軍艦と勝負すると、 どうみても 勝ち目のない軍艦であったそうです。
なんと3ヶ月程度費やし、 その間 ロシア人達は、どんどん建物を建設し、
対馬に ロシア人の集落を作って、 周囲の村を襲い、農耕で使用する 牛を
住民から武力で取り上げ、 それを食べてしまうという行為に及び、 その間
対馬府中藩は、 手をこまねいて見ているだけであったのです。
どうして、 一撃を食らわし、領土を防衛しないのかーー。
と言われています。
【 明日に続く。】