第1841回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2017年6月4日日曜日の投稿です。
攘夷派の14名が、イギリス人の逗留していた、江戸 高輪の東禅寺を襲撃した
事件は、あっという間に 不意を突かれて、イギリス人の休んでいた部屋に浪士が
入り込み、刃傷に及んだのです。
どうして、こうなっていったのか、実は 当時室内では、刀は 詰め所の刀掛け
っていたので、 それも 一尺三寸程度の短い脇差の者がほとんどで、 それで
応戦することになったので、 相手は 長い刀で打ちかかってくるわけですから、
あっという間に 進入を許してしまったのです。
それから、襲撃時間帯が 22時頃の夜であったので、寺の境内が暗かったのも
進入を許した原因とも言われています。
奉行の配下の与力、同心なども、 短い脇差で戦闘に加わり、48名が、14名を
室内で迎撃して、斬り合いとなり、 水戸浪士 3名を殺害し、 追い払ったよう
です。
のですが、 一等書記官 ローレンス オリファント と、 長崎駐在領事 ジョージ
モリソンが 瀕死の重傷を負い、外科医であった オールコックの手当てを受けて
なんとか 命をつなぐという事件になっていったのです。
ように警護役をつけて、 自分達を監視していると考えていたそうですが、あまり
にも、江戸が 外国人にとって危険であると考えるようになったようです。
違反であると江戸幕府に詰め寄ったようです。
ちょうど、オールコック 駐日英国総領事が、幕府に厳重抗議して、
帰国してきて、 老中ともめて 外国奉行を辞任してしまい、 老中達は、考えた
わけです。
東禅寺事件で、 どうせ イギリスに損害賠償金などを払うのであれば、それを
利用して、 対馬の ロシア人占拠事件を解決しようと思ったようです。
当時の筆頭老中であった 安藤 信正は、 ある計略を巡らしていったのです。
ロシア人も、 清国を打ち負かして、 世界最強と言われている イギリスが圧力
をかければ、戦争にもならずロシア人は退散するに違いない、問題は、イギリス
人を、 どうやって 動かすか、 そこが思案のしどころだったようです。
あくまでも、イギリス人の欲を利用して、彼等が進んで動くように仕向けなければ
ならなかったのです。
【 明日に続く。】