第1862回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1861話 大院君派の粛正と閔妃派の台頭の事。

                           2017年6月26日月曜日の投稿です。



  
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   1874年 明治7年 と言う年は、 九州の佐賀県で、前参議の 肥前藩

  江藤 新平が 佐賀の乱という反乱を起こすのですが、 この騒動の陰で、

  三菱商会は、 土佐藩の 後藤象二郎や、板垣退助らと、ほどほどに付き合い

  明治政府の 大久保 利通や、木戸 孝允らに接近し、お金をばらまいて、

  佐賀の乱などの戦争の物資運搬請負で金儲けをしていったそうです。


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     三菱商会の岩崎 弥太郎と言う人は、 見方を変えると 恐ろしい人で

   あったのですが、 日本が内戦に進んで行った当時、朝鮮半島では、日本に

   生意気な行為を行っていた、 大院君 興宣 が失脚し、 幽閉され、 代わり

   に 高宗 国王の 妃 閔妃【びんひ】の一族が、 大院君の取り巻きを粛正し、

   鎖国を止めて、 開国に進んで行ったのだそうです。



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   国王 高宗は、おとなしい暗愚な人で、 国王の御新政とは名ばかりで、

   高宗の妃の 閔妃と、その一族が要職を独占し、 独裁政治を始めていったの

   です。

   こういう出来事があって、 大院君 興宣派の人達は、 まさか、次男の嫁と

   その一族がクーデターを起こすとは考えもしなかったーー、 ここに 隙が

   生まれ、 油断があったようです。


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   失脚した、 大院君派は、 何かにつけて、権力を取り戻そうとして、陰謀を

   巡らせていき、 権力を握った、閔妃派と対立していき、 閔妃派に 清国が

   後で支援し、 そこに、 朝鮮の身分制の封建政治を終わらせ、西洋を見本

   に新しい国を建設しようという、開化派という勢力が、政治闘争を行って行き、

   国が荒廃していったのです。

   当時の人達は、野望や大儀を唱えたものの、 庶民の生活を改善して経済の

   立て直しまで考えていなかったようです。

   庶民の暮らしは どんどん悪化していったようです。

   それ故に、 新しい政治体制に希望を持とうとする人が広がっていったよう

   です。


   【 明日に続く。】