第1895回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1894話 仁川港の明治丸の事。 2017年8月21日月曜日の投稿です。




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                  【 明治15年当時の  明治丸 】


   みなさん、明治丸と聞いて、知っている人は少ないと思いますので、簡単に

紹介すると、 明治政府がイギリスの造船所に発注した、洋式商船で、記憶に

よると明治7年に完成し、明治8年から就役した日本の官庁が運用する、海軍の

軍艦とは又違った用途の政府専用商船というか、そういう所属の艦船でした。




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                    【 重要文化財  明治丸 】



   実は、現在も明治丸ハ保存されていて、重要文化財の指定を受けている

明治時代の洋式船でありました。

この明治丸が 1882年の9月18日頃、仁川港に停泊していて、この

明治丸に 朝鮮の壬午事変の謝罪の使節一行が乗り合わせることになって

行ったそうです。

 明治丸の行き先は、兵庫県神戸港であったと言われています。




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   朝鮮の使節一行が、明治丸に乗るときに 手に持って乗ったのが、前のお話し

 で紹介した、 大朝鮮の新しい国旗であったのです。



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        【 清国の馬 建忠 が作っていった 大朝鮮の国旗 】



    当時の明治丸の船長は、お雇い外国人で イギリス人のトーマス船長で

 した。

 実は、日本はイギリスの造船所に明治丸を発注したものの 動かす乗員が

 錬成されておらず、末端の船員は日本人で、 幹部は 英国人であったのです。

 トーマス船長は、 大朝鮮の使節の持っている白い旗を見て、「 ヘーィ、

 ミスター キム ナンノ フラッグ【旗】 デスカ、 メズラシイ モヨウデース。」と

質問したのです。


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  当時、随行書記官であった、金 玉均 書記官が、「 清国の 馬 建忠師に

よって定められた 新しい大朝鮮の国旗です。」と回答すると、 ニコニコ笑って

「 ワーーオッ、 チャイニーズノ デザインデスカ。」と、滑稽な顔をして見ていた

そうです。

そんな会話を少し離れた場所から見ていたのが、西洋人で初めて朝鮮イギリス

公使になった ウイリアム ジョージ アストン公使 でした。



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         【  イギリス 朝鮮公使館 ウイリアム ジョージ アストン公使】




  彼は、前の赴任地の神戸イギリス領事館に 朝鮮から移動するため、たまたま

明治丸に乗り合わせていたのでした。

  朴 特命全権大使が、彼が乗っていることに気がついて挨拶すると、ニコニコ

 しながら世間話が始まったのです。

 アストン公使は、神戸の領事館で、密航してきた朝鮮人を匿ったり、世話をして

 いた協力者で、 朝鮮語を勉強していて、たどたどしいですが、少し会話が出来、

 朴 特命全権大使も、 福沢 諭吉先生の慶應義塾に入る前、少し世話になった

 人であったのです。

アストン公使は、 「ソノ フラッグ【旗】ハ、ドウシタノデスカ、ミスターパク。」 と

語りかけてきたのです。


   【 明日に続く。】