第1897回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1896話 初めて掲揚された大朝鮮のテグ旗【太極旗】の事。


                          2017年8月23日水曜日の投稿です。



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               【 明治15年【1882年】頃の明治丸 】


    1882年 明治15年9月20日 大朝鮮の仁川港を出港した、ジェームズ

 船長の明治丸は、5日かけて、 大日本国の当時の神戸港に到着したのです。


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                   【 明治時代の 兵庫県 神戸港 】


    ところで言い伝えによると、 特命全権大使 朴 泳孝 一行の旗が、

  仁川を出て 5日の間に、少し変わっていて、 直されていたそうです。

  その大朝鮮国旗が初めて掲げられたのは、 指定の 大朝鮮使節の宿泊所

  に指定されていた、神戸 西村屋 の旅籠の前であったそうです。




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                【 大韓民国の国旗 テグ旗 太極旗 】


  こんなお話しを紹介すると、「 お前、嘘つき。」 と 言われそうですが事実で

 テグ旗が初めてひと目に出たのは、大日本国 兵庫県 神戸港 旅籠 西村屋

 の前であったそうです。

 これには、大朝鮮独立党の人達の 大朝鮮民族自立独立の厚い志があって

 初めて出来た 元祖 テグ旗の原型であったと言われています。



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                【 清国人  馬 建忠の 大朝鮮の国旗 】


  朴 泳孝氏らは、 ウイリアム ジョージ アストン領事や、ジェームス船長と

 話を行って行くうちに、 清国の皇帝の色である、黄色い色を旗から除外し、

 八卦から、四卦 に模様を変更して、現在の 大韓民国の国旗の原型を、

 明治丸の中で考え、 航海中に 作り直したと言われています。


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                      【 明治初頭の神戸港 】


    全権大使 朴 泳孝 そして、 副使 金 晩植 、 従事官 徐 光範

    書記官 金 玉均 らの人は、 日本に降り立って、 神戸を見物し、驚き


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                   【  明治時代の 神戸の風景 】


   これからの大朝鮮は どうあるべきか、 自分達の目で、神戸の町中を

   見物し、 身分制を廃止し、 四民平等、 男女平等、 民主主義という

   慶應義塾の 福沢諭吉先生のお話が これから進むべき道であると

   考えるようになっていったそうです。



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   こうして、大朝鮮には、 清国の軍事力を利用して、朝鮮を統治して、自分達

の身の保全を図ろうとする、 事大主義派 事大党こと、つまり 閔氏の一派と、 

これに反発する 旧 大院君 興宣を担ぐグループと、 開化派 と呼ばれる 

独立党とに別れていくのですが、 独立党の結党のような年でもあったのです。



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         【 大朝鮮 独立党の 思想の原点であった 福沢諭吉先生】


  大朝鮮 独立党こと、開化派は、 身分制度を撤廃し、 男女平等、欧米の良い

部分を取り入れ、大朝鮮を民主主義の国家にしていこうという組織でありました。

その思想の原点は、 朴 泳孝 氏らが 学んだ、慶應義塾の 福沢諭吉先生の

講義にあったのです。



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   彼等は、福沢諭吉先生に、明治政府要人との橋渡しをしてもらおうと、東京

  の慶應義塾をめざして上京したのです。


  【 明日に続く。】