第1925回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1924話  返済のめどのない三百万円の円借款交渉の事。 

                         2017年9月20日水曜日の投稿です。




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              【 清国よりの派遣の行政官 馬 建常 】


    外務協弁 メレンドルフ氏の提案により、新式貨幣の発行で、未払い俸禄を

  支払い、 財政危機を一旦脱した大朝鮮国でしたが、その後、この粗製乱造の

  貨幣によって経済は混乱していったのです。

  これらを安定させるために、 清国の行政官の 馬 建常は、日本の慶應義塾

  留学生であった、金 玉均を呼び出して、 大日本国に出向いて、借款交渉を

  行ってこいと命じたのです。



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    當五銭事件を終熄させ、そして 大朝鮮国の経済を安定させるには、

   1年分の国家予算に該当する資金の確保が不可欠と考え、 清国が資金を

   出す訳にはいかないので、 興亜を叫ぶ 日本人を利用して 日本政府に

   借款の申し入れを行って、資金を持ち帰ってこいというお話しであったのです。

   興亜を叫ぶ日本人とは、 慶應義塾の一門の人達の事でした。

   しかしながら、 大日本国から資金を持ち帰っても、それを返済するめどのない

   申し入れであったのです。

   借款【しゃっかん】とは、 大日本国からお金を貸してもらうと言う事です。


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             【   慶應義塾 留学生  金 玉均 氏 】


   当時 大朝鮮国 の1年分の国家予算は 日本円に直すと、300万円と

  推定され、 多額の借款の申し入れとなっていったのですが、現在の価値に

  直すと何を基準にするかで大きく違ってくるのですが、そうーおよそ15兆円

  程度になりますか、非常に多額な金額であったのです。


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   【 外務協弁顧問 博文局主任 井上 角五郎 氏 広島県福山市出身】 



  金 玉均氏は、漢城を出発する前、 同門の井上 角五郎先生を尋ね、挨拶し、

 日本に出向いて、円借款の交渉をするのに、ぜひ、前の参議 後藤象二郎 公

 に面会したいので、 紹介状を書いてほしいと頼み込んだのです。

 数年前まで、土佐自由党の 後藤象二郎公の書生をしていた井上 角五郎先生

 は、ためらうことなく、「何か困った事があったら、後藤先生を頼りなさい。」と、

 紹介状を書いて手渡したと言われています。


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               【 土佐自由党の重鎮 後藤象二郎 公 】 



   実は、この紹介状が 数ヶ月後に大変な騒動の原因になっていき、井上

  先生と、福沢先生が朝鮮半島を征服しようとしていたと 疑われる原因の

  1つになって行くのです。

  井上 角五郎先生 は、同門の慶應義塾の留学生であった、金 玉均氏の

  円借款の交渉を行いに行くのに、日本の政界にコネや、知り合いがいないの

  で相談しに行きたいとのお話しを信じて紹介状を書いたのですが、たしかに

  そういう相談もしたようですが、 実は、 朝鮮半島で決起をする相談を後藤

  象二郎公に相談することになっていったのです。

  

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          【  土佐の 三菱 の代表者 岩崎 弥太郎 氏 】
 


    土佐 自由党の後藤 象二郎公に相談することは、 その配下の商社の

  三菱の 岩崎 弥太郎氏に 計画が知られることになっていったのです。

  それは何故かというと、 決起の資金や、武器弾薬の調達、運搬の相談を

  岩崎 弥太郎氏に相談することになっていったようです。

  板垣退助 さんと一緒に西洋を視察して帰ってきたばかりの 後藤象二郎公は

 、ある途方もない計画を立てて、 金 玉均氏を表向き支援しようとしていくのです。

  それは、 表面上 朝鮮独立党を支援するというものでしたが、実は、裏の

  目的があったのです。


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 後に、これらの土佐自由党の陰謀を知ることになっていった外務省は、多いに

 驚くことになっていくのです。



  【 明日に続く。 】