第1927回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1926話 土佐自由党のフランス借款構想の事。

                          2017年9月22日金曜日の投稿です。





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                   【 朝鮮独立党 金 玉均 氏 】


   大朝鮮国から、日本に300万円の円借款交渉にやってきた 金 玉均氏は、

土佐藩、 元参議 後藤 象二郎 公と、相談に及び、 清国人に 軍事、行政

司法を独占され、植民地のようになり、多くの人が厳しい年貢の取り立てに苦し

んでいる国の現状を話し、今後の大朝鮮国の国のあり方を相談したそうです。

すると、 後藤 象二郎 公は、 「朝鮮独立党が 大朝鮮国の首都 漢城武装

決起し、 仮に王宮を占拠したとしても、 この企ては失敗に終わるであろう。」と、

指摘したと言われています。



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  「 事の成す、ならざるは、海でそうろう。」 と、語り、 こう言うお話しを聞かせ

 たそうです。

 「清国の兵力は、天津港から仁川港への海上のルートを通って朝鮮に入って

おり、何故かというと、このルートが最短で、いち早く船舶で兵力を移動出来る

からである。

清国の海上戦力を打ち破り、この海上輸送ルートを遮断しなければ、仮に首都

漢城の王宮を占拠しても、次々 清国から援軍が到着し、部分的に勝利しても

相手は 大国の大兵力を有していて、いずれは敗れるであろう。」と語ったそう

です。


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「  まず、清国の海軍を撃破し、 海上制海権をこちでとって、鴨緑江の大河を

天然の堀と考え、 ここに陣を敷いて、清国を朝鮮半島に寄せ付けないようにする

のが最善の策である。」 と、語ったと言われています。

 「それには、どうしたら良いか、 残念な事に、大日本国政府は、朝鮮半島に介入

する考えが全く皆無であって、 どんな話をしても、太政官は首を縦にふらず、そ

こで外国と手を結び、 まず、 フランス国から、300万円分の資金を借款で借り

受け、これを、 王宮に持ち帰らず、 我等の軍資金とする。


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 ところで、小生は、数ヶ月前、フランス国 極東艦隊 司令官 アメデ クルーペ

とよしみを通じておって、 フランス極東海軍と手を握り、 朝鮮半島沖の制海権

を こちら側に置いて、 その後、 朝鮮半島の清国人を追い払う企てに、我が

土佐自由党の勇士を派遣し、 朝鮮独立党を支援いたそう。」と、語りかけた

そうです。



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   この年、 後藤 象二郎 公 と板垣 退助 公は、西洋の視察から帰国し、

西南戦争から6年が経過しても、なお、朝鮮半島の武力征討を考えていたと言わ

れ、西洋視察の途中で会談した、 フランスの艦隊の司令官に、朝鮮征服を持ち

かけ、旧土佐藩の士族を朝鮮半島に渡らせて、 朝鮮を支配する手始めに、朝鮮

独立党を案内人に利用しようと考えていたと言われています。




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  旧薩摩藩西郷隆盛や、佐賀藩後藤新平は、軍事力に訴えて、明治政府に

 破れ、 その顛末を観察していた 土佐藩は、 明治政府と武力で戦うのをあき

 らめて6年、 その間、 昔の武士の身分や俸禄は無くなり、多くの士族が生活に

 困窮していたのです。

 土佐藩の直営会社であった 三菱を動かして、なんとか資金を得ていたものの

 多くの士族をもてあましていたのです。

 この人達を 朝鮮に送って、 清国人を追い払い、 土佐自由党朝鮮半島

 征服しようという計画が作られていったのです。



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  こうして、金 玉均 氏らは、 自由と民主主義と、興亜の為に、土佐自由党

朝鮮独立党を支援してくれることになったと思っていたようですが、 実は 旧土佐

藩の人達に朝鮮独立党が利用されていったというのが、本当のところのようです。

こうして、 土佐自由党と、朝鮮独立党は、 井上 角五郎 先生と言う、後藤

象二郎 公の元書生を通じて知り合い、朝鮮で新聞の仕事に没頭していた 井上

 角五郎先生の知らない間に、遠い日本で、 フランス国の極東艦隊と手を組んで、

朝鮮半島で維新回天を行おうという計画に発展していったそうです。


  
   【 明日に続く。】