第1936回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1935話 フランスの台湾攻撃の事。
2017年10月1日 日曜日の投稿です。
1884年 明治17年3月の頃、 フランスの外人部隊や、植民地軍を動員
して ベトナムの北寧 【バクニン】に総攻撃を開始したフランス陸軍は、たいした
戦闘も行わず占領し、 清国軍や、黒旗軍は衝突を避けて、密林などに撤退し、
拍子抜けに終わったのですが、 その後もゲリラ攻撃に悩まされることになって
いったのです。
北京で、李鴻章と フランス公使 ユーリ バトノールが停戦条約をかわして
戦争は終わるのかと思われていたのですが、 その後、 黒旗軍に襲われ
フランス兵が多数殺されるという事件が発生し、 ふたたび戦争が再燃していった
と言われています。
1884年 8月5日 フランス海軍は、ベトナム沖から、台湾の基隆沖合に
進んで、 上陸 占領し、 戦争の地域が ベトナムだけでなく どんどん拡大
していったのです。
これに対して、 清国では、 福州に海軍を集結させて、フランス艦隊を
攻撃する計画を立てて、 その艦船の数は、22隻となり、攻撃の時期をうか
がっていたのです。
当時 ドイツなどから最新鋭の西洋式の軍艦を調達していた 清国海軍は
いたようです。
これらの清国の動きを察知した、 フランス極東艦隊 アメデ クールペ
提督は、 フランス海軍12隻で、倍近い 清国海軍に強襲攻撃をかけていった
のです。
彼の方針は、「 やられる前に 乾坤一擲全力で攻撃せよ。」 であったのです。
【 明日に続く。】