第1951回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1950話 甲申事変【こうしんじへん】朝鮮独立党の王宮の占拠の事。
2017年10月16日月曜日の投稿です。
【 当時の大朝鮮国の首都 漢城 現在のソウル 】
【前話の続きから。】
1884年 明治17年の12月4日の22時頃、 当時の漢城の王宮から、
数十人の死者を出して、清国の守備隊が逃走し、 一緒に王宮を警備していた
快く思っていなかったようで、 朝鮮独立党の代表者 朴 泳孝 氏の説得
で、決起の部隊に加わり、 その勢力は約500名にふくれあがったと言われ
ています。
朝鮮人を訓練して、手駒で使っていた部隊で、2千人程度いた言われています。
どういうことかというと、 残り1500人程度が、 宿舎や自宅に帰って寝ていた
のです。
朴 泳孝氏は、残りの兵士を決起に賛同させ、協力するために、夜を徹して
これらの調略を開始するとともに、 当時、変事があったら、重臣は王宮に
駆けつけることになっていたので、王宮の前で 待ち伏せして、閔氏の系列
の重臣を殺害する作戦を実行して行ったと言われています。
これらを実行して行ったのが、日本人の土佐自由党の人達であったと伝え
られ、 王宮の外から見ると、日本人が攻めてきたと受け取る人も出て来た
ようです。
【 内宮に進撃した 金 玉均 氏 】
ちょうどその頃、郵征局 祝賀会場を出て、王宮に進撃してきた 金 玉均氏
の部隊は、途中で参加者があったり、他部隊と合流して、60名ほどで王宮に
到着し、 朴泳孝 氏と合流、 そのまま 朝鮮国王 高宗のいる内宮を占拠する
任務を受けて、 進んで行ったのでした。
その内宮を占拠する作戦の目的は何であるかというと、国王の身柄を押さえて、
清国人と、閔氏に利用されるのを防ぎ、 自分達に都合の良い勅許を発行させ、
国王 高宗の 勅令と称して、朝鮮半島に命令を出していく目的であったのです。
内宮とは、 わかりやすく言うと、 普通の人は出入りが禁止され、そうーー日本
で言えば大奥【おおおく】のような場所で、 宦官【かんがん】と呼ばれる去勢した
男が支配し、特別な地域であったと言われています。
宦官と女官と呼ばれる人達が暮らす特殊な地域に、 金 玉均 氏達は、どか
どか夜中に入って行って、 どうも 宦官の実力者と 言い争いになっていった様
です。
それは、ケンカになるでしょう、内宮は、 男が入ってはいけない場所であったの
で、 金 玉均氏らは、「高宗国王に夜中に目通りしたい。」 と言う、宦官は、
「 そのような事は認められぬ。」と言う、両者押し問答となっていった様です。
【 明日に続く。】