第1978回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1977話 甲申事変【こうしんじへん】 清国軍の仁川港の宅捜索の事。


                    2017年11月12日日曜日の投稿です。


イメージ 4



          【 朝鮮独立党の 主要メンバー  金 玉均 氏 】


【 前話の続きから。】



   1884年 明治17年の12月9日、 日本領事館が、「大日本国は、朝鮮

 独立党とはまったく 無関係で、 どうしようが、清国の好きにされるがよろしい。」 

 との竹添 進一郎公使の申立で、 日本人には危害を加えないという約束で、

 仁川の市街とその周辺で清国の軍勢によって、謀反人の 朴 泳孝、 金 玉均

 ら9名の朝鮮独立党の残党の捜索が行われていったと言われています。



イメージ 1
 


   言い伝えによると、 外務協弁 メレンドルフ が これらの指揮を執っていた

 と言われ、 店屋の中から、 家や 倉庫の中まで、徹底的に捜索していき、何か

 知っていそうな人は、 清国人によって連れて行かれ、暴行を受けたそうです。 




イメージ 2




 ところが 2日程度、そういう捜索が続いたそうですが、 まったく 朝鮮独立党の

9名の居場所が判明せず、 メレンドルフが怪しいと思い出したのが、 仁川港に

停泊する、 日本海軍の日進 と、千歳丸 という客船でした。




イメージ 3



             【  外務協弁ゲオルグ フォン メレンドルフ 】

 

    「 ニホンノ フネ トッテモ アヤシイデース。 シッカリ ミハリナサーイ。」

と言って 見張らせていると、 大朝鮮国の博文局の主任官吏の 井上 角五郎

が、千歳丸に出入りしているのが目撃され、 「 ヤツラハ チトセマル ニイルヨウ

デース。」と、 疑いを持っていったと言われています。



イメージ 8



 【 博文局 主任だった 井上 角五郎 先生   広島県 福山市誠之館 出身】




 その 井上 角五郎先生は、 千歳丸に戻ると、船底に降りて行き、 金 玉均氏

らに、「 今 清国勢が仁川の町中を捜索しているので、絶対に外に出ないように。」

と、言いに来たそうで、 徐 光範 氏の生前のお話しによると、「 市中に清国勢が

捜索に来たのであれば、この船にも捜索に来るに違いない、 生き恥をさらして、

毎日 肉をそがれて 苦しんで死ぬより、 今、ここで自決しよう。」と、金 玉均氏が

言いだしたそうです。


イメージ 5



          【 千歳丸の船底に隠れていた 朝鮮独立党のメンバー】



   そして、 いよいよ、 薄暗い船底で、 自決しようと 衆議が一致した時、

 どう言うわけか、偶然に千歳丸の船長の辻 勝三郎氏が 暗い船底に姿を現し、

 「 心配するな、この船に乗っている限りは、 国際法で守られているので 清国人

 は手出しは出来ん。」 と 話があり、自決をするのを 一同 思いとどまったと 

 言い伝えられています。



イメージ 6




   千歳丸は翌日 長崎に向かって出港することになり、 荷物などを運び込ん

 でいると、外務省に報告するため、日本に一時帰国することになった 竹添 

 進一郎 公使が 乗り込んで来た頃、清国の軍勢が 港にやって来て、 


イメージ 9



波止場を埋め尽くし、千歳丸に小銃を向けて小舟で外務協弁の メレンドルフ

が乗り込んで来て、 千歳丸の臨検を申し入れて来たと言われています。

 

イメージ 7




   井上 角五郎先生の生前のお話しでは、絶体絶命の場面で、 「 こりゃーー

 もういかん、  どうしたもんか。」 と、当時思ったそうで、 メレンドルフは、

 「 ミンナ ウゴイテハ イケマセーン。 ココニ イルノハ ワカッテイマース。」と

 叫んで 千歳丸の甲板に 警備の清国兵を連れて 乗り込んで来たそうです。

 当時12月11日  千歳丸の甲板の上は、冷たい 強い潮風が吹いていた

 そうです。


 【 明日に続く。】