第1987回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1986話 甲申事変【こうしんじへん】 第2次朝鮮半島出兵の事。 

                        2017年11月21日火曜日の投稿です。




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    【 前話からの続き。】


  1884年 明治17年12月28日の年末、2年前の壬午事変に続いて、大日本

国 陸海軍は、朝鮮半島の仁川港に上陸を開始し、 海上から 日本海軍の艦艇

の支援の下、 ぞくぞくと 陸上兵力が上陸を開始したのです。



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     当時の仁川港と、その周辺では、 日本人を 清国人が大勢殺したので

   日本軍が 報復に来たと噂し、 戦争が始まると 大騒ぎになって行った

   そうです。



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    反面、 仁川の日本領事館を警備していた、 仙台鎮台の警備隊は、

  援軍が到着したと言う事で、 胸をなで下ろしたそうです。

  1000人以上の 清国の軍勢が押しよせて来たら、 150人程度では、

  全滅間違い無しと考えられ、 死を覚悟して 日本領事館を警備していたそう

  です。


   
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     続々と 日本陸軍部隊は上陸し、 仁川の周辺に布陣を開始し、

  清国勢や、 閔氏の軍勢に対して 防御の布陣で警戒態勢をとったのです。



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  このような 日本陸海軍の動きは、すぐに 大朝鮮国の首都を制圧していた

 袁世凱将軍の 清国 朝鮮駐留軍に伝わり、 清国の軍勢も 防衛のため

 出陣することになっていったのです。



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   こうして、 清国の軍勢と、 閔氏の軍勢と、日本陸海軍の部隊は、仁川の

  郊外でにらみ合いとなって行ったのです。


  今の時代に直すと、 ロシアの外交使節団が 軍艦や軍隊で押しよせて来て

  アメリカの軍隊と 日本の軍隊が 防衛の為に出動したと言う感じでしょうか。


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                      【  仁川港の位置 】



  どうして、 どう言う原因で、よその国の軍隊が勝手に 朝鮮半島にやって

 来て、 武力衝突に発展していくのか、 考えて見ると、 自分の国の土地、

 つまり領土を 自分達で 守る事が出来なかった、 そして、 その都度、 外国

 の軍事力を利用して、政権の維持を行おうとしていった結果、 常時、 外国の

 軍隊が朝鮮半島に駐留するようになり、 今度は、 勝手に 外国の軍隊が戦争

 を始めていく、 市民が戦闘に巻き込まれていく、 こういう争乱を招いていった



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   戦争が発生すると、決まって、 その地域の一般市民が戦闘に巻き込まれ、

  殺されたり、 家を焼かれたり、 物を壊されたり、 ひどい目にあっていったの

  です。

  そして、抗議をすれば 殺害される。

  しかたなしに 泣き寝入りする。

  大変ひどい目に あっていったのです。 



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 当時、東京にあって、 これらの甲申事変の経緯聞いて、今後の対応を考えて

いた伊藤 博文公は、 朝鮮半島から 外国の軍隊がすべて撤退し、国政を

朝鮮人にすべて元通り戻すことこそ、 今後の朝鮮半島の安定につながり、朝鮮

の安定は、 大日本国の安定につながると思い至り、 清国軍をどうやって、朝鮮

半島から撤退させるかと言う事を思案しだしたそうです。

そして、「 最終的には、わしが清国の首都、北京に行って、二度と武力衝突に

ならないように 話をせにゃーいけん。」 と、 思う様になっていったそうです。



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              【 清国の北洋大臣 李 鴻章 りこうしょう 】


   ところが、 袁世凱将軍からの報告で、「 日本陸海軍 仁川に押しよせる。」

   との報告を受けた、 清国の 李 鴻章 は、 清国の北洋艦隊と、 援軍を

   朝鮮半島に増派していく決定を行ったのです。



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  こうして、 日本の明治17年こと 1884年の12月の年末は、朝鮮半島

 多いに軍事的緊張が高まり、 1885年になっていったのです。

 いよいよ、 同程度の軍事力を展開し、 清国と大日本国がにらみ合いをする中

 で、外交交渉が表と裏で始まって行ったのです。

 外交交渉では、 国力がない 非力な国が 何を言っても 相手にされなかった

 のです。



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 相手の国が強ければ、 戦争をすると 手痛い被害が発生する、 それよりは

 外交交渉で、 戦争を回避しようという、 こういう仕組みで 外交は行われて

 いったのです。

 口で、どんな正しい事を申立てても、 正論でも、 相手にされず、 ひどい場合

 は相手に殺される、 そう言うわけで 護衛の軍隊を連れて 外交交渉に臨む、

 こういう時代であったのです。




   【 明日に続く。】