第1988回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1987話 甲申事変【こうしんじへん】 呉 北洋副大臣の出陣の事。


                        2017年11月22日水曜日の投稿です。



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  【 前話からの続き。】


   「 大将軍様、 大変でございます。 仁川に 日本の軍勢が押しよせて参り

  ました。」  「 ぞくぞくと 上陸して 仁川を占拠されました。」 との、報告を

  受けた 漢城に駐留していた 清国の朝鮮派遣軍の総大将であった 袁世凱

  【えんせいがい】 将軍は、「 ついに 押しよせて来たか。」 と、多いに危機

  感をもったそうです。




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            【  清国 朝鮮派遣軍 袁世凱 えんせいがい 将軍 】



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              【 甲申事変 後半の 清 朝 日の布陣図 】



  当時の言い伝えを 図上に再現すると、 仁川の沖合に 日本海軍の艦艇が

  支援停泊を行い、 仁川の周辺に 2千人規模の兵力を日本側は展開したと

  言われています。



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    これに対して、1884年 明治17年の12月27日頃、 清国の天津から

  丁汝昌 将軍の清国 北洋艦隊が出陣し、 側面の海上に展開して、日本海

  を牽制したと言われています。



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            【 清国 北洋艦隊 丁 汝昌  てい じょしょう 将軍 】


   この 丁 汝昌 将軍は 2年前の 壬午事変【 じんごじへん】で、大院君

  興宣を拉致し、 天津に監禁した 将軍として知られ、 日清戦争では、日本

  海軍と大狐山沖合で交戦し、 山東半島の 威海衛で、最後は自決したこと

  で知られています。



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  そして さらに 清国側は、陸上兵力を上陸させ、 北洋副大臣 呉 大徵


  なる人を朝鮮に派遣し、 日本側に圧力をかけていったのです。



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          【  呉 大徵 ご だいちょう 清国 北洋副大臣  】



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          【 1885年 明治18年1月初頭の 清 朝 日の布陣図 】



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     このような 清国の増援の圧力を受けながら、外交使節の身の安全

     を保つ為に、 日本陸海軍は朝鮮半島の仁川港に出陣したのですが、

     相手の様子を探るため、 年始早々に、 漢城の 袁世凱将軍の元に

     使者を日本側から出すことになっていったそうです。



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    年が変わって、 1月1日 清国の 呉 大徵 北洋 副大臣が大朝鮮国の

   首都 漢城に入城し、 朝鮮半島は 大きな軍事的緊張に包まれていった

   のです。



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                 【 清国 北洋大臣  李鴻章 りこうしょう 】


    呉 大徵 北洋副大臣の任務というのは、 大日本国と戦争を回避し、

  清国が有利な条件で、日本側の軍隊を追い払うのが任務であったと言われて

  います。



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      当時、清国は、南部でフランスと戦争を行い、そのフランス軍が台湾に

    上陸し、戦火が拡大し、 和平の機会を探っていた当時、 さらに 日本と

    朝鮮半島で戦争状態になるのを避けたいとの思惑があったようです。


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               【 当時の漢城の風景  現在のソウル 】



    1885年 明治18年 1月1日、清国と大朝鮮国と大日本国との間で

  表と裏の外交交渉が始まって行ったのです。

  いよいよ 壬午事変 軍事的緊張の中での後半の始まりです。


  【 明日に続く。】