第1995回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1994話 甲申事変【こうしんじへん】 漢城条約前夜の事。


                         2017年11月29日水曜日の投稿です。



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   【 慶應義塾 高弟 井上 角五郎先生 広島県福山市誠之館出身 】




    【 前話の続きより。】


  「 朝鮮半島で、 清国と大日本国が戦争を始めると、国土が荒廃し、多くの

民が戦争に巻き込まれ、死傷し、 その後、どちらかが勝てば、朝鮮半島を勝った

国に支配されるに違いない、 それを防ぐには、 朝鮮人の手で、この和平を主導し、

朝鮮人の手に、国政と外交を取り戻し、 外国の軍隊を朝鮮半島から撤退させること

こそ、 進むべき道であり、 視野を広げ、 おのれの国のことだけを考えず、興亜の

精神で、三カ国が手を携えて、親善を深めていく、これが、東アジア全体の将来の

発展のためであり、 自身の国家の為である。」

との、 福沢 諭吉先生の 興亜論 の説法で、当時の朝鮮の政府関係者をその気

に導いて始まった、 大朝鮮国と、大日本国の和平交渉は、 清国の主導で一方的

に進んで行ったのです。


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                     【 魚 允中 氏 】




   肝心の 大朝鮮国の 要人は、口を閉ざし、 発言するのは 清国の雇った

 お雇い外国人の ドイツ人 外務協弁 メレンドルフ が中心で、大日本国の

 行為を非難し、 責任を一方的に 追求するのみであったそうです。

  なぜ、大朝鮮国の政府の高官達が、口を閉ざしていたかというと、 不用意に

  言を労して、 清国の袁世凱将軍の逆鱗に触れ、 殺害されるのを恐れての

 ことでした。

  そのような状態で、 大日本国全権  外務卿の井上 馨 公は、彼等の

  様子から、おおよその事を悟り、 次のような提案を行ったと言われています。



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     【 大日本国 全権代表  外務卿 井上 馨 公 山口県山口市出身】




 「 大日本国の方針は、 あくまでも、 清帝国、 大朝鮮国の政府との友好で

あり、申し入れがあった、大日本国が謀叛や反乱を起こしたというのは、誤解で

あって、 まったく そのような事は史実無根のお話しで、 そのような事が目的で

あれば、 元山、釜山、仁川の3方向より攻め寄せて、戦になって そうろう。

 本日、 年始より、漢城を訪れたのは、なによりも、大朝鮮国の政府との関係

を以前同様に、関係を修復することが、肝要でそうろう、 諸般の相違する出来事、

これらについては、一度 両国で 棚上げし、 何よりも、元の状態に関係を

戻すことこそ、 今回の訪問の目的であって、 貴国を害する意図はまったく

無いことを 申し伝えそうろう。」 と、 通訳を通じて、 大朝鮮国の政府の首脳

に 伝えたと言われています。



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                      【   金 晩植 氏 】


  
  そうすると、 大朝鮮国の政府の 金 晩植氏が、「 それはよい、 それが

よろしい。」 と、 同調し、 他の人達も、「 いゃーー目出度い目出度い。」 と

笑みを浮かべ、 殺伐とした雰囲気が、一気に和やかな雰囲気に変わっていった

そうです。


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                      【 左議政 金 弘集 氏】


   すると、表向きの大朝鮮国の政府の代表者の 金 弘集氏は、「 個別の

 議題については、 それぞれの専門家の間で円満に協議する事にして、なに

よりも、 大日本国政府と、大朝鮮国の政府の友好と親善が大切であり、以前の

状態に 国交を戻すことが望ましい。」 と、語り出し、 それ以前に 犬が吠える

ように、 大日本国の非を 追求していた、 清国のお雇い外交官 外務協弁

メレンドルフ は、黙り込んでしまったそうです。


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                   【 外務協弁 メレンドルフ 】



    井上 馨 外務卿は続けて、「 清帝国と 大日本国との関係も同様で、

 この度の事件に関する相違点、 その後の朝鮮半島における重要事案に

 ついては、 清帝国と、個別に 外交交渉を行い、 朝鮮半島で、同じような

 事件が起こらないように、両国が和平を結び、 そして 朝鮮半島を元の

 状態に戻して、 朝鮮国王が政を行う事こそ、朝鮮半島の安定につながり、

 つまり、 大日本国と 清帝国は撤退すべきであるというのが、大日本国の

 方針でそうろう、 故に、その後の個別の事案については、 清帝国と別途

 外交交渉を北京か、天津で行う事を申し入れたい。」 と語ったそうです。



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  つまり、 清国の軍隊や、大日本国の軍隊が朝鮮半島にいなければ この度

のような、武力衝突は起きていなかった、 それ故、 清国も、大日本国も、朝鮮

半島から軍隊を自国に帰らし、撤退させ、 政治と外交を 朝鮮人に戻すことが

朝鮮半島の平和につながると 申し入れたそうです。

 これに、 朝鮮側は大歓迎し、 清国の目付であった メレンドルフ は、孤立して

いき、 交渉の潮目が変わっていったそうです。



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  実は、この外交方針は、太政官 参議筆頭の 伊藤 博文公の考えで、 軽は

ずみに戦争を行おうと叫ぶ人達や、朝鮮半島の将来と安定を考え、朝鮮半島の為

だけでなく、 朝鮮半島の安定が、 大日本国の安定につながるとの考えから、そう

いう方針をとっていったと言われています。


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  当時、琉球列島の西の台湾にフランス軍が上陸し、 その先、琉球【沖縄】に

進出してくることは間違いない事と警戒されていて、 朝鮮半島で動乱が広がれば

ロシアやイギリスやフランスやドイツや清国が進出し、 いずれは 大日本国を

侵略して来るであろうと 考えていたそうです。



 【 明日に続く。】