第1996回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1995話 甲申事変【こうしんじへん】 漢城の朝、日の密約の事。


                          2017年11月30日木曜日の投稿です。



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 【 前話の続きから。】


    日本の当時の太政官は、 日本側に立っていた、朝鮮の慶應義塾門下の

 留学生の官僚の派閥、約50名近くが、自ら決起し、潰れてしまい、このまま

 事態を放置し、その先を考えた時に、清国の勢力がさらに朝鮮半島に根を張り

 いずれ日本の対馬や、壱岐、 福岡に攻め寄せて来ることになってくる恐れも

 これあり、 今のうちに、なんとか釘を打ち込んで、清国の朝鮮半島への進出

 を何とか止めるのには、 どうしても 朝鮮政府に日本国よりの人物を作って

 おき、何かあった時に、その人物を利用できるように工作を行っていったと言

 われています。


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              【  統理衛門 博文局 総裁 金 允植 氏 】





  そこで、当時の外務省が接近し、 裏交渉の窓口にしたと言われているのが

 金 允植 総裁であったと言われています。

 金 允植 総裁は、 売国奴になったのではなく、 朝鮮政府の先を考えて

 大朝鮮国の為になると考え、 日本に協力していったと言われています。

 それは何であったのかというと、「朝鮮人の手に政治を取り戻す。」と言う事

 の1点でありました。


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 つまり、 清国の勢力を、戦火を交えることなく、清国に帰ってもらい、清国との

 友好は続け、 かつての大院君 興宣の頃のように、朝鮮人の手で政治を行い

 国をもとに戻す事を考えていたところに、日本側から 取引を持ちかけられ、

 先々の国のあり方を考え、熟慮して、それを受けたようです。



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                     【 左議政  金 弘集 氏 】


  それは、当時の臨時政府の 左議政 金 弘集氏らに、密かに根回しし、

 表向きは、 大朝鮮国が大幅に譲歩し、大日本国の面目を尊重した和平条約

 を締結し、 実は、損害賠償などは棚上げし、清国の軍勢と 大日本国の軍勢が

 朝鮮半島から撤退する清国との交渉に、 大朝鮮国が大日本国に協力し、

 清国の撤退が完了した後、 表向きは、中立を保ちつつ、 大日本国に協力

 していき、 友好を保つという内容であったようです。

 もし、これらの事が首尾よく進めば、 日本側は 公使館警備の陸軍部隊の

 わずか200人の兵力が撤退し、 清国は当時駐留していた天津からの援軍も

 含めて 約3000名の兵力が 朝鮮半島から 消えるわけで、 朝鮮側から見たら、

 話しに乗って国益がある有り難い申し入れであったのです。



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            【 参事院議官 井上 毅 こわし 氏  熊本県出身】


  これらの秘密交渉は、 太政官 参議筆頭の伊藤 博文公の内意を受けた

 井上 毅 参事院議官によって進められ、 日本側としては、戦闘を行わず、

 大朝鮮国の 現在の主流派を日本よりに導き、 新たな日本親派を作り、そして

 清国に一緒に 朝鮮半島からの撤退を求め、 追い払い、 風呂敷をはたいて

 新しい朝鮮半島の外交関係構築に動いていったと言われています。



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               【  清国 朝鮮駐留軍 袁世凱将軍 】



   こうして、内政干渉をよく思っていなかった、朝鮮人の官僚達を、日本側に

 調略して、戦争を行わず、外交によって、朝鮮半島から清国人を追い払う計画

 が、密かに 金 允植氏らを窓口に進められていったのです。



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            【 清国のお雇い外交官 外務協弁 メレンドルフ 】


  「 大日本国が反乱と謀叛を煽動した。」と日本側を攻撃する 外務協弁 

メレンドルフの申立に対して、 日本の外交交渉団は、「 それは 違う、 その

根底は、清国が、大朝鮮国に武力を用いて軍事介入し、内政干渉を行い、

それを不満に思う 朝鮮人の人達の愛國者の決起であり、 その原因は、

清国の役人が朝鮮国に内政干渉し、朝鮮半島の人達に重税を押しつけ、

容赦ない年貢の取り立てを行い、 貢ぎ物と称して、穀物を清国に持ち帰る

清国の無法な行いが原因である。」と申立て、 朝鮮半島からの 清国の軍勢

の撤退を求めて行ったと言われています。


  【 明日に続く。】