第2015回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2014話 甲申事変【こうしんじへん】 大朝鮮国使節団の訪日前夜の事。
【 大朝鮮国の首都 漢城 現在のソウル 】
【 前話の続きから。】
1885年 明治18年の1月9日に、大朝鮮国の政府と、対立する問題は
棚上げにして、 「何事も 両国の融和が肝要でそうろう。」との、井上 馨
外務卿の提案で、漢城条約が締結され、 そして、もう一方の清国とも、
伊藤 博文 筆頭参議らが天津に出向いて、 天津条約を締結し、一段落し、
その大日本国側に、大朝鮮国から、甲申事変の謝罪と、損害賠償の支払いの
繰り延べ、 つまり、金が用意できないので、 支払いを待ってほしいとの、協議
を行う外交使節が東京に派遣されることになったのです。
その道中、 大朝鮮国の領土である 巨文島にイギリス海軍が占拠していて、
これらの撤退交渉を 東京に行く途中の長崎港で行う事になっていったそうです。
その使節団の代表に、 メレンドルフ 外務協弁がどういうわけか、推挙され、
密かに、王妃の閔妃【びんひ】呼ばれ、 出立の挨拶を行いに昌徳宮に参内
したようです。
【 国王 高宗の妃 閔妃 【びんひ】 】
当時 閔妃は、初めはメレンドルフさんを清国の手先と考えて警戒していた
ようですが、王宮の国庫がゼロで経営破綻して、金銭に不自由していたところ
彼がいろいろ知恵を出して、税関を作って、関税を王室の国庫に入るようにしたり、
貨幣を鋳造して、支払いに充てたりと、いろいろ 閔妃達の為に金銭の支援を
行っていたため、 だんだん、両者が接近するようになって行ったそうです。
メレンドルフ 外務協弁は、「長崎港でイギリス海軍と巨文島の撤退交渉と、
東京で、先の漢城での朝鮮独立党の反乱の後始末を行いに行ってまいり
ます。」と、 閔妃に挨拶を行いに行ったのですが、彼女曰く、「 清国の軍勢
が、先の天津での和平協議で、朝鮮半島から撤退し、 大日本国の軍隊も
撤退し、 もし いつぞやのように、反乱が発生したら、 だれが守ってくれ
るのか。」と、問いかけたそうです。
当時、 大朝鮮国の国庫は底をつき、 年貢が入っても、清国が貢ぎ物
と称して、持ち去っていくため、 朝鮮王室は、お金がなく、 警備の軍隊も
訓練も満足に出来ない様に成りはて、 兵士達にも給金が数ヶ月滞る状態
であったそうです。
こうして、 外務協弁 メレンドルフと、閔妃との秘密の打ち合わせが始まって
行ったと言われています。
と言う事を 真剣に模索していたようです。
閔妃は、大日本国から、軍事顧問団を招聘して、自らを守る親衛隊のような
部隊を訓練していたのですが、壬午事変の後、 天津条約で、清国も、大日本国
も軍隊は引き揚げ、両国は軍事顧問団を派遣しないと定めてしまい、また、毎年
のように各地で反乱が発生し、半年前も、 朝鮮独立党が首都 漢城で反乱を起
こしたばかりなので、 自分達の身を今後どうやって守っていくのか、多いに不安
だったようです。
そこで、 巨文島と元山をロシア帝国に租借【貸し出して】して、資金を受け取り
その資金でロシアから軍事顧問団を招聘して、 閔氏の軍勢に武器弾薬を調達し、
ロシア人に協力してもらいながら、 横暴の限りを尽くしていた 清国人を朝鮮半島
考えていたそうです。
詰めの協議をするだけになっていたそうで、 その 詰めの協議を、大日本国
の東京のロシア公使館で行ってほしいとの閔妃からの内々の申し入れがあった
そうです。
こうして、閔妃から 秘密交渉を依頼され、 外務協弁 メレンドルフは、東京
でロシア帝国と秘密交渉を行う事になっていったと言われています。
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お金がないから、国の一部をロシア帝国に渡して、金銭を受け取り、その資金
身の安泰をはかろうというという考えは、後に、朝鮮の国を破滅させる原因に
なって行きます。
自分達で、自分達の身を守れないと、大変な事になっていくようです。
【明日に続く。】