第2017回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2016話 甲申事変【こうしんじへん】 英朝清の巨文島撤退交渉の事。
【 英国が占拠した 巨文島 諸島 】
【 前話の続きから。】
1885年 明治18年4月15日に発生したとされる、イギリス海軍の巨文島
占拠事件は、 当時、清国と天津で、甲申事変の和平交渉を行っていた伊藤
博文 公達に衝撃を与えた事件でした。
イギリスは この巨文島諸島を、ポート ハミルトン と言う名称に変え、世界
にイギリス領であると告知を行ったのです。
彼等は、 巨文島を 第2の香港にすると言い放ち、 どんどん資材を
持ち込んで、 砲台や、兵舎など、 軍事施設の建設を行いだしたのです。
そこで、 大朝鮮国は清国と協議の上と言っても、袁世凱将軍の内意で、
撤退交渉の全権代表として 大日本国の長崎港に派遣したと言われて
います。
【 当時の長崎港 】
当時、どうして イギリスの艦隊が 長崎に集結していたかというと、事情
があって、 極東で、大型艦船が唯一修理出来るドックが明治政府によって
整備されていたからだと言われています。
どうしても、船というのは壊れるわけです、 修理するのに遠くまで戻るより、
長崎に来れば 修理が可能であったそうです。
そんな事情で、長崎の港に停泊している時に、 「巨文島を返してもらいたい。」
とする メレンドルフさん達、外交使節団が、やって来たようです。
大朝鮮国の政府一行が、イギリス艦隊の旗艦を訪れ、挨拶すると、なんと
当時のイギリス海軍の 佐官や、尉官達は、軽蔑する様な目付きで、大笑いした
と言われています。
巨文島返還交渉が始まって行ったのです。
【 明日に続く。】