第2020回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2019話 甲申事変【こうしんじへん】 徐 相雨 大朝鮮国全権大臣のこと。
2017年12月24日日曜日の投稿です。
【 イギリス海軍が武力占拠した 巨文島】
【 前話からの続きより。】
【 イギリス艦隊 司令官 リチャード ハミルトン 海軍中将】
1885年 明治18年の4月15日に 大朝鮮国の巨文島を武力占拠した
ハミルトン 司令官のイギリス海軍は、 巨文島を ポート ハミルトン と改名
を国際社会に宣言し、 これに抗議し、 即時撤退を求めてきた 大朝鮮国
の交渉団に一喝し、
「 フッフフフフフフッ セメテクルノナラ イツデモ アイテシマース、スグウミノ
ソコニ シズメテヤル カクゴシテ キナサーイ。」
と、いつでも開戦の準備が出来ていることを表明し、 外務協弁 メレンドルフ
さん達の樹上開花の計略は、かえって火に油を注ぐ行為となり、交渉は決裂
したといわれています。
長崎から横浜に向かう船中で、一行は、急いで朝鮮国に海軍を作り、砲台
では、その部分しか防衛が出来ず、 艦船なら機動的に艦砲を水上移動させ
互角の立場にて外交交渉が可能になる事を思い知らされたと言われてい
ます。
どんな正しいことでも、 国際法に照らし合わせて、相手に落ち度がある
場合でも、 国力や軍事力が微力であると、相手が高飛車な物言いの態度
で、外交交渉が前に進まないことを実感したようです。
つまり国力のない国家や、個人がなにを叫んでも 相手にしてもらえない
そういう外交の世界であったのです。
徐 相雨 【ソ サンウ】全権大臣と、外務協弁 メレンドルフさん達は、横浜港
に到着し、一路、東京をめざして進んで行ったそうです。
徐 相雨 全権大臣は、「何としても 大朝鮮国の軍事力を西洋式に改め、
軍事力を充実させないと、 どこの国と交渉しても、 軽く見られて、何も出来
ない。」と発言し、 東京で、なんとか大日本国政府を利用して、借款【しゃつかん
借金のこと】 を申し込んで、 その資金と、 東京で予定されている ロシア帝国
同盟を結んで、 軍事顧問を派遣してもらい、 ロシア式の軍隊の整備の道筋
をつけたいとの考えであったと言われています。
【 当時の 大日本国の玄関 横浜港 】
東京への用向きというのは、 色々あったようですが、 1番はじめに
大日本国の外務省を訪れ、 当時の外務卿【外務大臣相当】の井上 馨公に
面会し、 巨文島事件の支援と、損害賠償金支払いの猶予、 それから、
甲申事変で逃走した、 朝鮮独立党の数名の捕縛への協力を要請する
為であったと言われています。
【 福沢 諭吉先生の家に逃げ込んだ、朝鮮独立党の面々】
特に、 朝鮮独立党の 金 玉均 については、 朝鮮国王 高宗の目の前
で、身近に使えていた忠臣 宦官 柳 在賢 氏を殺害し、 朝鮮国王 高宗は、
「必ず捕らえて、極刑にせよ。」と、命令を出していたそうで、 外務省としたら
頭の痛い 問題であったのです。
当時、外務省では、 大朝鮮国の使節団は、表向きは、甲申事変の
大朝鮮国からの さらなる借款、つまり借金の申し入れについては断る
ことで方針が一致していたと言われています。
いよいよ、 東京の外務省での 大朝鮮国との外交交渉が始まろうとして
いたのです。
【 明日に続く。】