第2022回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2021話 甲申事変【こうしんじへん】 第1回朝日会談のこと。
2017年12月26日火曜日の投稿です。
【 朴 泳孝氏、金 玉均氏らの朝鮮独立党のメンバー】
【 前話からの続き。】
1884年 明治17年12月4日に、 日本の慶應義塾の留学生グループと
土佐自由党の壮士、 三菱の送り込んだ浪人傭兵が武力決起し、当時の大朝鮮
国の政府の大臣 6名を殺害し、多くの官吏を殺害した事件を 甲申事変【こうしん
先生の自宅に転がり込んでいた 朝鮮独立党のメンバーは、その後、追っ手の
襲撃を警戒し、 東京の浅草の浅草寺の近くのアジトに潜伏していたのですが
大朝鮮国からメレンドルフ 外務協弁などが東京にやってくることがわかり、
福沢 諭吉先生の計らいで、 関西に移動する事になっていったと言われて
います。
入れ替わりのように 横浜港から東京にやってきた、大朝鮮国の外交使節団
は、外務省に到着し、 当時 いろんな要望を 大日本国に対して 要望したと
言われています。
それは どのような事であったのかというと、 正確には伝わっていない
のですが、 おおよそ次の様なお話しだったそうです。
1885年 1月9日に漢城条約で約束された、大日本国への謝罪と遺憾の意
を天皇陛下に拝謁して、宮城で奏上する事。
そして、この条約で取り決められた 大朝鮮国の政府が支払うと約束した損害
賠償金が、現在 国庫が破綻して支払いが出来ないので、債務を繰り延べ
【小口に分けて少しずつ返済すること。】させてもらいたいこと。 それから、
甲申事変で逃走した、謀反人の追討、捕縛に大日本国政府として協力してもら
いたいと言うこと。
そして、さらに、出来れば 日本から借款 つまり、お金を貸してもらえないか
という要望と、 巨文島に進駐した イギリス軍を追い払うのに 協力してもら
えないかというお話しの申し入れがあったそうです。
外務協弁 メレンドルフさん達のお話しを丁重に聞いていた 外務省の幹部
は、その場で回答を行わず、「 検討する。」と話すのみで、 当日は宿舎に案内
し、宮城への参内の打ち合わせと、 その準備などの打ち合わせがされたそう
です。
【 駐日 ロシア公使館】
ところで その日の夜遅く、 人目を避けて ある男が、外務協弁 メレンドルフさん
と、密会したとされています。
その人物の名前は、 駐日ロシア公使館 書記官 シュペイエル と言う人物で
あったと言われています。
来たのですが、 実は、 本来の目的は、 本国から遠く離れた 東京で、ロシア
帝国と秘密交渉を行うことであったと言われています。
【 明日に続く。】