第2054回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第2053話 朝鮮独立党 金 玉均氏と、近畿自由党 影山英子先生の事。
2018年1月28日日曜日の投稿です。
【 前話からの続きより。】
出た、朝鮮独立党の金 玉均氏は、 大阪市中をまず、 代言人 大井 憲太郎
氏の事務所の家屋を捜して歩いたそうです。
元、 近畿自由党の 首魁 代言人 大井 憲太郎の周囲に、彼女が暮らし
ている事は、 奈良県の吉野村の土倉家から得た情報でした。
一郎 代言人の紹介状を有効に使用して、 影山 英子 女史に面会し、彼女の
紹介で、 大井 憲太郎 なる人物に面会しようと計画をしたようです。
【 当時 近畿自由党に加わっていた 影山 英子 先生 】
学校に進学したそうです。」 と、 話があって、その話を信じていたのですが、彼女
は、どう言うわけか、 代言人 大井 憲太郎 氏の事務所の 事務をして 生計を
立てていたようです。
【 近畿自由党 首魁 代言人 大井 憲太郎 氏 】
そして、後に知ることになったのですが、 彼女は、当時20才の女盛りで、主人の
代言人 大井 憲太郎 氏が、 彼女に言葉巧みに操って、 愛人にしていたと
言うのが、 影山 英子先生の 後のご本人のお話しであったようです。
当時、数百人の党員の先頭に立ち、 秩父困民党の支援に出陣したり、演説したり、
大井 憲太郎という人の行動を男らしいと感じ、徐々に引かれていったのですが、
彼女は、世間で言う 妾【めかけ】のような立場にされていったようです。
そんな事は当時、金 玉均氏は知るよしもなく、彼女に面会し、「 慶応義塾、
福沢 諭吉先生門下、 岩田 秋作です。」 と名乗り、 彼女に 石黒 函一郎
代言人の紹介状を手渡し、 「 興亜について 語りたいと思い、 景山先生を
岡山から、 藤井家、そして、吉野村を捜し、 大阪まで捜してきました。
大変でした、 やっと 景山先生に 会うことがかないました。」 と挨拶し、
岡山でのお話しを行い、 影山 英子先生も、久々に 故郷 岡山のお話しを
語りかけられ、 嬉しそうに、「 まあーー 石黒先生のーーー うち、うれしいわー。」
と、 金 玉均氏を歓迎し、 ちょうど 運良く、 代言人 大井 憲太郎氏が事務所に
戻って来て、 朝鮮独立党の金 玉均 氏は、 初めて 近畿自由党の首魁 大井
憲太郎なる人物と懇談することになっていったと言われています。
【 明日に続く。】