第2069回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2068話 福岡市 玄洋社 頭山 満 先生の訪問のこと。

                            2018年2月12日月曜日の投稿です。




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                  【 明治初頭の 福岡城 】



【 前話の続きより。】


  1885年 明治18年の秋の頃、 福岡県福岡市の旧黒田藩の士族が、廃藩

置県後に、 黒田家の資産を元手に始めた 玄洋社は、 その後、「 国を磨く。」

と称して、 現在の商工会議所と、青年会議所を併せ持った団体へと進化していき、

いろんな事業者の社長が 社員として加盟し、 大きな力を持っていったのです。


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      【 初代 玄洋社 社長 平岡 浩太郎 先生 後の衆議院議員 】


  そして、玄洋社では、 お互いの経済活動を助けるため、資金援助や、相互の

 支援、商売の仲介などを行うようになり、 その1つが、囲碁本因坊家の支援

 であったと言われています。

 本因坊家の家元 本因坊 秀悦 氏は、多額の負債を抱えて、破綻に及び、

 林家に養子に出ていた、 3男の秀栄氏を担いで、 本因坊家を乗っ取り、金の

 上納によって、段位を出して、 本因坊家の財政を建て直そうとしたのが、玄洋

 社の番頭格の 頭山 満 先生であったと言われています。



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         【 福岡県の愛國組織 玄洋社の明治期の幹部集合写真 】


 ところが、本因坊家の高弟達が、「 囲碁の段位を金で売り買いし、本当の実力の

ある人物が金が無いという理由だけで、段位が上がらないのはおかしい。」と申し立

て、 異論を唱え、 前の家元の長男 秀悦 氏らのグループが分裂し、さらに、

高弟 中川 亀三郎 氏 らが、方円社なる組織を作って独立していき、 当時の

本因坊家の家元の 本因坊 秀栄氏らは、 これらの動きを止めようと、破門や、

段位剥奪などを繰り返し、 混乱はさらに広がり、 人々の心は 離れていき、

当時、 大きな問題となって行ったようです。


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                    【  若い頃の 頭山 満 先生 】


  本因坊 秀栄 氏 から 相談を受けた 玄洋社の頭山 満先生は、相手方の

方円社に接触したものの、 よい結果とならず、 当時 方円社を支援していた、

土佐自由党の 後藤 象二郎 公を仲裁人として、 その側近の、土佐 立志会

の植木 枝盛 先生を通じて、和解交渉を進めていた当時、まったく埒があかず

本因坊家の一門から方円社にどんどん弟子の流出が続いていたのです。



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                    【  本因坊 秀栄 家元 】

  言い伝えによると、 玄洋社の 頭山 満 先生 と 本因坊 秀栄 家元

らは明治18年の11月の後半頃、 海路 神戸に入り、 朝鮮独立党の 金 

玉均氏が当時本拠としていた、 神戸 西村屋旅館を訪問し、 面会を求めた

と伝えられています。



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              【 本因坊秀栄氏から 送られた 碁盤 】


  当時のお話しでは、神戸の中央区にあった 西村屋 という旅館の一室で

 会談が行われたと言われ、 方円社との和解の第一歩として、 年に数回、公開

 での 囲碁勝負を行うお話しについて、 玄洋社も 本因坊家も 了承し、大きな

 溝に広がった、 一門の傷を、 少しずつ埋めていき、 数年計画で、再度統一に

 向けて尽力していくことが確認されたと言われています。


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  頭山 満 先生は、丁重に 金 玉均氏に御礼を申し上げ、そして、玄洋社

して、朝鮮独立党への支援を表明し、西村屋 旅館の一室で、風呂敷包みを手渡

し、当時の金額で 500円を金 玉均氏に送ったと言われています。

当時、巡査の1ヶ月の給料が9円の時代、 現在の貨幣価値に直すと、およそ

一千百万円程度の金額であったと言われています。


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                  【  朝鮮独立党 金 玉均 氏 】


   こうして、金 玉均氏は、一夜にして大金を手にして、 この日本でなんとか

  体制を整え、 軍資金を調達して、再度 朝鮮に攻め込み、清国人から、大朝鮮

  国を取り戻し、 朝鮮人の元の国に戻していこうと 考え、 決意を固めていった

  と言われています。


  【 明日に続く。】