第2075回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2074話  朝鮮独立党と大阪事件前夜の事。

                       2018年2月18日 日曜日の投稿です。




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            【 近畿自由党 首魁 代言人 大井 憲太郎 氏 】


    【 前話からの続きより。】


   言い伝えによると、 1885年 明治18年の12月初旬ころ、朝鮮独立党の

 朴 泳孝 氏と金 玉均氏が 言い争いになったその前後、 大阪市内では、

 旧 近畿自由党関係者が、 金 玉均 氏を道案内として、朝鮮に渡って朝鮮に

 旧 近畿自由党を主軸とする 自由民権国家樹立を計画し、その軍資金を得る

 為に、政府と癒着して 金儲けにいそしむ、当時の財閥の事務所を襲撃し、倉

 の錠前を爆破して、 金銭を略取し、 それを資金に武器を調達しようと計画し、

 その陰謀に参加した人達は、百数十名に及んだと言われています。

 これらの計画を 隠密に計画していたのは、 旧 近畿自由党 首魁 代言人

 大井 憲太郎 氏 であったとされています。


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                     【 当時の 内務省と東京警視庁  】


 
   以前より、 密偵を潜入させて 情報を収集していた、陸軍憲兵隊や、内務省

  の間者から同様の報告が寄せられた、 当時の内務省の 内務卿 山縣 有朋

  公は、「福島事件や、秩父事件のように反乱が起きてから鎮圧に向かったのでは

  全国各地で同様の自由民権の反乱が発生する恐れがあり、 反乱の前に鎮圧

  を行うべし。」と叫んで、密かに 第2次近畿自由党関係者への弾圧を計画したと

  言われています。


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                 【  内務省  内務卿 山縣 有朋公 】


  これが、後の研究では、 内務省の作り話であったとか、 実際に行われよう

としていたとか、 いろんな説があって、 実際どうであったのか、 よくわからない

部分が多いのですが、 はっきりしていることは、 山縣 有朋 公の命令で、

旧 近畿自由党関係者が一斉に 逮捕されていったというのは これは事実です。

こうして、 明治18年 12月に、 大阪で、 第2の大塩平八郎の乱を防止する為、

政府によって、関係者の一斉摘発が開始されていったのです。



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  福沢 諭吉 先生が 心配して 手紙をしたためた事が、現実になって行った

のです。


【 明日に続く。】