第2082回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2081話 大阪事件のその後の金 玉均氏 島流しのこと。

                     2018年2月25日日曜日の投稿です。





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   【 前話の続きから。】



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  ちょうど、 山陽自由党の石黒 函一郎先生が、大阪に 景山 英子先生を

助けに入っていた当時、 東京市では当時、太政官の会議が開かれ、慶応義塾

を潰して、福沢 諭吉先生を 逮捕しようという提案がされたと言われています。

そんな提案をしたのは、内務省であったと言われ、 ここ数年続いた自由民権派

の争乱の原因は、 慶應義塾の「学問のすすめ。」や、時事新報などの機関誌

を読んだのが原因で、これを摘発し、壊滅させなければ、次々 争乱が発生する

に違いないと考えられていたそうです。


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  山縣 有朋 公は、「 福沢、ありゃーーいけんど、 あーーいえば、こういう。」

 「 まったく、 おのれの行為を まったく、反省しておらんけぇ、 おきゅうを すえ

 にゃーいけん。」 と、 こんな発言があり、 そして、 大阪事件の原因とされた

 福沢 諭吉先生が匿っていた 金 玉均を逮捕して、朝鮮に送り返す、つまり

 殺すお話しも検討されたと言われています。

 この話しに反対したのは、外務卿の 井上 馨 公であったと言われ、「昨年の

 外交交渉で、 「朴 泳孝、 金 玉均らは、大日本国にはおらず、 アメリカに

 でも 逃走したのでしょう。」 と言うお話しになっておって、 今から実は日本に

 おりましたと言うわけにいかんよ 狂【 きょうさん 山縣 有朋公の事】さん。」と

 語ったと言われています。 


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  伊藤 博文公は、「 狂 さん、別の方法はないものかのぅーー、慶応を潰せば、

 次の争乱の引き金になりかねんし、 福沢 諭吉 先生のどの本も 暴力を否定

 していて、全部の責任を 慶應義塾に持っていくと、 こんどは、政府が悪者に

 なり、 大義名分が通らん思うんじゃ。」と、言うと、 会議の流れは、金 玉均を

 八丈島島流しとして、命までは取らず、 大朝鮮国にも 引き渡さないことに

 決まっていったそうです。

 ずいぶん 外務省が、清国や、大朝鮮国に、 「金 玉均の行方は知れず。」

 と繰り返し回答していたので、 今さら 引渡は体面上出来なかったようです。


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  こうして 当時の内務省によって、金 玉均 氏は逮捕され、多額の現金は

 内務省によって没収され、 八丈島に 島流しになったと言われています。

 八丈島なら、 絶海の孤島で、 さすがの 金 玉均も、何を言おうが、何も
  
 出来ないであろうし、 清国や朝鮮の暗殺者も、八丈島までは、 金 玉均を

 殺しには行かないであろうと考えたようです。


  【 明日に続く。】