第2142回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2141話 明治22年 井上 馨邸事件の当日の事。


                        2018年5月1日 火曜日の投稿です。




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          【 第2代内閣総理大臣 黒田 清隆 公 鹿児島県出身 】


  【 前話からの続きより。】


   大酒を食らって、酩酊し、 大声で叫んで、何やら腹を立てて、千鳥足で

  自邸を出て行った 黒田 清隆 公は、 冬の12月15日の夜の町中に消えて

  いったそうです。

  黒田邸の家人は、「 またか。」と、あきらめて 追いかけもしなかったそうです。

  ご婦人が、肺結核と思われる症状で他界した後、 酒癖が悪いのがどんどん

  進み、 心ない新聞記者によって、病死したご婦人を、 帰宅した時に、出迎え

  なかったと言いがかりを付けて、斬り殺したなどと、新聞に書かれ、大騒ぎに

  なった事もあったのですが、 そんなことが続いて、誰も止めたりしなかった

  ようです。


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     黒田 清隆 公が酔っ払って、姿を現したのは、長州派の重鎮の一人

   前の外務大臣 井上 馨 公の 自邸前だったそうです。

   黒田 清隆 公は、「 おいを こけに しおって、 いのうえ どこにごあすか。」

   と、井上 馨 元 外務大臣の邸宅の中に夜中に侵入していったと言われてい

   ます。 


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  内閣総理大臣であった 黒田 清隆 公は、 外務大臣の大隈 重信公が

 福岡の政治結社 玄洋社の社員であった 来島 恒喜 烈士に襲われ、重傷を

 おった 7日後に内閣総辞職を行ったのですが、 後のお話しでは、次の内閣

 総理大臣のなり手がおらず、 明治天皇から、再び自分に大命降下があると

 思っていたようです。

 ところが、 内大臣 三条実美 公が、内閣総理大臣 臨時代理に就任し、

 他の閣僚は そのまま勤務となり、 自分と大隈公だけ、辞任扱いとなり、

 多いに不満を募らせていたとされています。


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   たしかに当時の政局では、次の内閣総理大臣になろうとする人がいなかった

 という説も事実のようです。

 そこに、前の外務大臣で、外国人裁判官制度に反対していた 井上 馨 公が

 次の内閣総理大臣に、 内務大臣 山縣 有朋 公を推挙し、 動いているとの

 話を聞いて、 多いに腹を立てていたと言われています。

 こうして、 酩酊して 我を失った 黒田 清隆 公は、 井上 馨 公の邸宅に

 夜遅く 押しかけていったとされています。


  【 明日に続く。】