第2161回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2160話 東和洋行ホテル事件 和田 延次郎少年の事情聴取のこと。
2018年5月20日日曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
ちょうど 上海の日本領事館の依頼で、東和洋行ホテルの2階で現場
知事からの報告で、 岩田 周作 なる 被害者の男は、 朝鮮独立党の
金 玉均 の可能性があり、至急調査されたし。」との連絡があったそうで
す。
その岩田 周作なる人物が既にこの世におらず、 調査の糸口は、唯一
東和洋行ホテルの2階に残っていた 北原 と言う名前の少年にしぼられて
いったそうです。
北原という少年は、 加藤という通訳を交えて、 上海の当時の租界の
警察署に該当する 巡補房のとり調べに、出来事を語っていき、「実は、
岩田 周作 というのは、 偽名で、 金 玉均 であると語り、自身も、
金 先生の意向で、 北原 延次 と宿帳に名前を書いたが、 本当の
名前は、小笠原出身で、和田 延次郎である。」と語ったそうです。
ここの発言が、事件をさらにややこしくしていったそうです。
どういうことかというと、 上海の日本領事館は、当初 被害者は 日本人
その根拠が崩れていったそうです。
被害者も 大朝鮮国民で、 加害者の犯人も 大朝鮮国民で、 朝鮮人の
旅行者一行が、日本人の名を宿帳に記載し、 その後、 口論となり、殺人事件
に及び、 犯人が逃走したとなった場合、 大朝鮮国の問題であって、日本政府は
関与すべきではないとなって行ったとされています。
こうして、 金 玉均 氏が、上海で射殺されたという事実は、現地の和田 延次郎
少年の申立から 確認がとられ、外務省から、この事件は現地の公安組織に報告
のみにして、 日本領事館は手を引くよう命令が電報で指示されたとあります。
以上のような経緯で、 その数時間後に、 金 玉均 氏の遺体引き取りを巡って、
清帝国 と、 大朝鮮国と、 和田 少年との間で、トラブルが発生していったと
伝えられています。
【 明日に続く。】